Can You Keep A Secret?




「お前ってこの部屋そっくりだよな」
 久しぶりに出現した床の上に捲簾は直に腰をおろした。そして、ひと運動した後の一服、とばかりに懐から煙草を取り出し、火をつける。
 ぎゅうぎゅうに詰まった本棚に凭れ掛かり、ふぅと唇から紫煙をたなびかせる。
 そんな捲簾の姿を、部屋の主である天蓬は、窓際に立ったままちらりと流し見た。
 既に銜えていた煙草を手に取り、その先を慣れた仕種で灰皿に弾く。
「なんです、いきなり」
「俺って毎回お前の部屋を片付けてやって本当に甲斐甲斐しーとか思いながら、ふとこの綺麗になった部屋を見て思ったわけだ」
「何を」
「綺麗になった部屋に違和感を感じるのもどーなん、と思ってさ」
 捲簾の物言いに、天蓬は露骨に呆れた表情を浮かべた。一瞬だけ表情を歪めたものの、すぐさま含み笑いを浮かべる。
 捲簾がぎょっとするほどに、剣呑な笑み。天蓬はくすりとあからさまに口許を緩める。そのまま、彼の眼前にあった机の上にまだ積み上げたままになっていた本の山を、わざと捲簾のほうに向けて勢いよく崩した。
「って、テメッ!」
「これで少しは落ち着きましたか」
 飄々と言ってのける天蓬を恨めしげに見上げ、それから己の足許まで投げ出されるように崩れてきたあわれな本の山に視線を落とす。そこで捲簾は深々と嘆息した。
「天蓬…」
「だいたい僕はこの部屋を片付けてくれなんて頼んだ覚えは一度もありませんが。まぁ、確かに貴方が西方軍に赴任した早々、貴方に請われて命令した覚えならありますが。でもそれだけでしょう?」
 それなのに、そんなふうに言われるのは心外だと笑顔で怒る天蓬が恐ろしい。
 捲簾はさらに大きなため息をついた。かなり短く切り揃えられた漆黒の頭髪をがりがりと掻く。
「俺の言い方が悪かった。だからって、いきなり本に当たるな」
「それはまぁ…僕も悪かったです。本に否はありませんからねぇ」
 天蓬はすぐに気を静めたようで、ゆっくりと捲簾の前まで歩を進めた。そのまま彼の横に立ち、同じく本棚を背にして紫煙を吐き出す。
「お前、また俺に隠れて竜王とナンか企んでるだろ?」
 ここで本題、とばかりに、捲簾は訝しげな声音を隠しもしないで横に立つ男に訊ねた。
「また唐突になんです?」
 誤魔化すことにかけては天蓬もまったく負けてはいない。はなからまともに答えてくるとは思っていない捲簾は、その思いを吐き出すように煙草の煙を吐き出す。
 こういう肝心なところをけして見せないあたりが。
(――秘密主義、ってヤツだよな)
 そう胸中で呟き、捲簾はゆるゆると顔を上げた。ぼんやりと前方の壁を見つめる。
「あのさぁ、俺、策略とかなんとかってのは判んねーし判る気もないから、お前が何企もうが口出しする気もねぇけど。ただお前、ヤベェ事も言わないだろ。なんでもかんでも秘密にしとけばいーってもんじゃないの、いい加減解れっつっても解る気ねぇよな天蓬」
「捲簾」
「部屋ってさあ、そいつの人となりを表すとか言うだろ。で、結局お前の本質ってこの綺麗に片付いた部屋じゃなくていつものあのスゲー状態の部屋かと思ったら、やっぱりそっちのほうがまんまお前だなって」
「……」
「そしたらその雑然としていて絶対に本当のとこを見せないあたりがお前そっくりだなぁってさ」
 思うまま捲簾が一息に言い切ると、頭上から天蓬の深いため息が落ちてきた。
 それに引かれるように、顔だけを上に向ける。何ともいえない複雑な表情を浮かべた天蓬と目が合った途端、彼は再び深々と吐息を漏らした。
「なんだかひどい言われようの気がするなぁ」
「ホントのことだろ」
「それで。結局何が言いたいんですか、捲簾」
「んー、だからお前、秘密だらけだなぁっていうのが言いたかったらしい俺」
 捲簾とて、特に天蓬に何かを言いたくて口にしたわけではなく。
 ただ思ったままを口にしていたらこんな話の流れになっていただけなのだ。
 そんな捲簾の曖昧な口調に、天蓬はますます呆れたようだった。ため息まじりに紫煙を吐き出して、短くなった煙草を手近にあった灰皿に押し付ける。
「らしい、って貴方ねぇ…。そういう、何もかもが思ったままなところ、貴方らしくて呆れますよ」
「悪うございましたね」
「そういえば貴方の部屋って何もないですもんね。必要最低限、って感じで」
 天蓬の言う通り、捲簾の私室には物がほとんどない。
 天蓬の部屋とは実に対照的なほど、生きていくうえで最低限に必要なものだけが置かれた部屋だ。それは捲簾があえてそうしているからなのだが。
 まるで捲簾の本質のように整然とした室内。己の思うままに生きる捲簾そのままに、不用意に飾りたてることもしていない。もちろん、物自体もない。特に隠すものも、あえて隠すこともない空間。
 それを指して自分らしい、と言われてしまえばそうかもな、と捲簾はぼんやりと思った。
「さっき、僕のこと秘密だらけだって言いましたけど」
 ふいに、天蓬がそのままの位置で腰を下ろしてきた。自然とふたり、並んで床に座り込むかたちになる。
「ん?」
「僕からすると、貴方のほうがよっぽど判らないことだらけですよ」
 その言葉に、捲簾はわずかに目を瞠った。
 天蓬がこんなふうにストレートに心情を吐露すること自体とても珍しいことで。
 思わず落としかけた煙草を銜え直し、捲簾は目を見開いたまままっすぐに前を見つめた。
「天蓬」
「貴方、けして本心だけは表に出さないでしょう。こういうのを本当の秘密主義っていうんですよ。僕みたいなのは隠しているだけで秘密とは違います」
 捲簾は目を丸くした。ゆっくりと横にいる天蓬へと顔を向ける。
 どこか悔しそうに言い募る天蓬を、捲簾は意外そうなものを見る目付きで、そろそろと見やった。
「秘密に本当もナニもないだろうが」
「誤魔化さないでくださいよ。貴方はいつも僕のことをどうこう言うけれど、肝心なところで絶対につかませない捲簾のほうが余程性質悪いって自覚したほうがいいですよ?」
 そう言って、天蓬は嘲笑った。捲簾に対してではなく、まるで自分自身に向けているかのような微妙な笑み。
 捲簾はますます目を瞠るしかなかった。
 天蓬らしくない物言いと、けれどこういうふうに捲簾を追い詰めるように見つめる瞳のアンバランスさに凄みすら覚えるほどに。
 ふと、捲簾は我に返った。視線を再び前方に戻す。
 確かに。
 天蓬の言うとおり、ではあるのだ。
 例え天蓬の前でも。けして見せない部分は確かにある。
 彼だから見せたくないこと。彼にだから悟られなくないこと。
 それを指して『秘密』だと言われてしまえばそのとおりだとも思う。
 だから。
「…知りたい?」
 試すような捲簾の態度に、天蓬のうすい肩がびくりと揺れた。
「…いいえ」
 少しの逡巡の後、天蓬は否定の言葉を口にした。彼の様子を窺うように、捲簾はそろりと横を見る。
「単なる隠し事は知りたいですけど、本当の秘密なんてものは解らないからいいんですよ」
 そう言い切った天蓬を、捲簾はまじまじと見つめた。
 なんとも彼らしい答えに、返す言葉が見つからなかった。
 ふいに天蓬はくすくすと笑い始めた。肩を揺らしながらちらりと捲簾を流し見る。
「だから、僕の前では隠し通してください」
「…何を?」
「貴方の秘密」
 天蓬の腕が捲簾の肩に伸びる。捲簾はそのまま、眼前の痩身を引き寄せた。
 ふたりの距離が一気に縮まる。
「最期の時にさえ教えてくれれば、それで」
 そう言って天蓬は嫣然と微笑った。その笑みに惹かれるよう、捲簾もまた口許に笑みを刻む。
 こういう彼だからこそ惹かれたのだと。
 見せ付けられた気分だった。
 捲簾は衝動のまま、目の前のいとしい男に唇を寄せた。始めから激しい接吻を仕掛けると、天蓬もまた同じだけの激しさで返してくる。
 深く、きつく。触れ合わせる角度を変えて幾度も幾度も。貪るように。
 ひとしきり口づけを交し合い、ひと心地ついてからようやく身を離す。こつり、と、天蓬の額が捲簾の肩に乗せられた。ほぅ、と熱を逃がすように甘い息を吐き出す。
「それなら言わねぇ」
 腕の中にいる彼に言い聞かせるように、捲簾はおもむろに口を開いた。わずかに天蓬の痩躯が揺れた。
「最期の時まで絶対に言わねぇ」
 そろりと天蓬が顔を上げた。捲簾をじっと見つめたかと思うと、ふと意味深に目許を細める。そして、まるで捲簾に見せ付けるかのようにあでやかに微笑んだ。
「――約束、ですよ」
「ああ」
 しっかりと視線と視線を絡めて。
 互いの瞳奥を見つめ合って。
 そこに浮かぶ確かな思いを感じて、捲簾は再び天蓬を抱き寄せた。




 解らないからこそ秘密の意味があるのだと。
 他でもない貴方の秘密なら。
 知ってしまったらつまらないでしょう、と。




 だから捲簾は隠し続けるのだ。
 秘密という名の――己の本心を。
 彼にだけは知られないように。彼にだけは悟られないように。








FIN

「一筆啓上仕り候」様に寄稿。

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