お祝いの日




 今まで、自分にとって「誕生日」という日はさしたる意味をもたなかった。
 花喃と再会してからは「誕生日」はあくまでも「花喃の生まれた日」を祝う日であって、「自分」自身は関係なかった。どうでもよかったとさえ言っていい。
 だから、すっかり忘れていたのだ。
 ――今日が自分の誕生日だということを。




「はっかいー、なんかお前宛に荷物届いてんぞー」
 玄関のほうから聞こえてくる悟浄の声に、八戒はふと我に返った。
 昼過ぎになってようやく起きた悟浄がたまたま受け取りをしたらしく、起きぬけのまだ眠たげな表情を浮かべたまま、台所で片づけをしている八戒のところまで小荷物を持ってきてくれた。悟浄の気配に気づいた八戒は、それまでしていた洗い物を中断し、彼へと向き直る。
「僕に、ですか?」
 いったい誰がわざわざ八戒宛に荷物を送りつけてくるのか、すぐには心当たりが浮かばなかった。改めて悟浄と同居を始めてから数ヶ月の身の上では、八戒の所在を知る者など限られている。だから、八戒はいぶかしげに悟浄が手にしている荷物を見やった。そんな八戒の態度に、悟浄はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる。
「んな顔すんなよ。三蔵サマからだって」
「……ああ」
 三蔵からなら、まだ納得がいく。そう思って、八戒は少し緊張の糸を解いた。悟浄はニヤニヤ笑いを貼り付かせたまま、ほいと三蔵からの荷物を八戒に手渡す。
 見た目は片手で軽くかかえられる程度の大きさだが、実際受け取ってみると想像以上にずしりとした重みを感じた。この様子からして、荷物の中味は何となく想像がつくというものだ。
「酒かね、やっぱ」
 悟浄が八戒の腕の中にある荷物をのぞきこむようにして言う。やはり同じことを考えていたかと、八戒は苦笑した。
「多分そうでしょうね。でも、何で三蔵からこんなものが送られてくるんでしょうねえ?」
「とりあえず、なか開けてみ。な?」
 どうもおもしろがっている風な悟浄の様子に、八戒はやれやれと肩をすくめつつ、ダイニングテーブルの上に荷物を置いて丁寧に包装を解き始めた。
 果たして二人の予想通り、そこから出てきたのはひと目で高いと判る高級酒が一瓶。あわせて、カードらしきものが入っていて、それに気づいた悟浄がひょいとカードを手渡しする。八戒はそれを受け取り、何事かと少々慌て気味にその文字を目で追った。


『お前の生まれた日に。』


 たった一言だけ書かれたそれは、八戒の心をひどくざわつかせた。こんなことを不意打ちで仕掛けてくるなんてずるいなあ、とここにはいない三蔵に向かい胸中で呟く。しかし。
「僕の生まれた日って……あ!」
「お前、今日誕生日だったの?」
 思わず八戒が叫んだのと、悟浄が疑問を口にのせたのがほぼ同時で、二人して顔を見合わせてしまう。それでも、先に気まずそうに口を開いたのは八戒のほうだった。
「えっと、……今の今まで忘れていたんですが、どうやら今日は僕の誕生日みたいです」
 あはははは、と八戒が笑いながら言うと、悟浄は不思議そうに顔をしかめた。どうやら、本当に八戒が自分の誕生日を忘れていたことが信じられないらしい。まあ、普通じゃないでしょうねえと、八戒はますます笑みを深くした。
「フツー自分の誕生日を忘れるかー? ……ま、お前のそーゆートコはつくづく変なヤツとか思うけど」
「僕としては、悟浄にだけは言われたくないってとこですが。ま、それはいいとして、」
「よくねぇよ。だいたい、なんでお前が忘れてるよーなことをあのエセ坊主が知ってんだ?」
 悟浄の言い分に、八戒は思わず手にしたままだったカードを机の上に置いた。
 確かに、八戒と三蔵はいわゆるそういったつきあいをしている仲ではあるが、世の恋人同士のような甘ったるいつきあいかたをしているわけではなかった。だから、誕生日を教えあったこともなれけば、誕生日をともに過ごしましょうと約束をかわしたこともない。
 八戒自身、自分の誕生日にまったく思いいれはなかったから、三蔵に話す以前に「誕生日」の存在自体がきれいに頭から抜け落ちていた。もちろん、三蔵から今日の日について事前に何か言われたこともなかった。
 だが、よく考えてみるとひとつだけ心当たりはあった。そういえば、と八戒はおもむろに箱から酒瓶を取り出しつつ、口を開く。
「僕があの寺院で沙汰待ちだったときに、三蔵のもとへ猪悟能に関する正規の書類がいろいろといっていたはずです。だから、三蔵が僕の生年月日を知ってても別におかしくないといえばおかしくはないですね」
「そりゃま、そーか」
 悟浄はようやく得心がいったと、伸びかけの前髪をくしゃりとかき上げた。そして、大きく腕を伸ばしながら、洗面所へと足を向けた。
「じゃー俺、顔洗ってくっから……」
「はいはい。荷物の受け取り、ご苦労様でした」
 眠たそうに欠伸をしながら歩く同居人の背中を見送りつつ、八戒は再度カードへと視線を落とした。そして、彼の字をゆっくりと一文字ずつ目で追う。
 いかにも三蔵らしい、何の飾りたてもない簡潔な言葉。でも、それがとても彼らしくて、とても嬉しい。彼のそんな気遣いが、八戒の心をあたたかくする。
 もう一度、自分がこんな感情を持つ日がくるとは、思ってもみなかった。そして、彼への想いを自覚してから、それが受け入れられる日がくるとは思ってもみなかった。だから余計に、こんなささいなことが泣きたいくらいに嬉しく思えるのだろうか。
 八戒はそのカードを大事そうに手にとり、ふわりと笑みをこぼすと、自分の部屋へと持っていった。酒は後で悟浄といっしょに飲むとしても、このカードは八戒だけのもの。
 いったいどんな顔をしてこのメッセージを書いてくれたのだろうか。八戒はその時の三蔵を思い、幸せそうに微笑んだ。




「で、今日三蔵サマと会う約束とかしてんの?」
 八戒は早めの昼食、悟浄はかなり遅めの朝食をとりながらの食卓で、それまで黙々と食べていた悟浄から唐突に尋ねられ、八戒は思わず食事の手を止めて悟浄を見た。
「約束、ですか?」
「そ。例えば、誕生日にはいっしょにいましょーとか」
「……そんなことないですよ。だいたい三蔵がそんなことを言うと思います?」
 悟浄は八戒と三蔵の仲を知っている。だからこんな質問をしてきたのだろうが、あまりに自分たちとはかけ離れた内容に、八戒は苦笑するしかなかった。
「いんや、全然見えねぇから訊いてんの。ほら、よく言うじゃんか。恋人同士は誕生日とかをいっしょに過ごすもんなんだってなフツー」
「だいたい恋人同士って仲じゃないですよ、僕たち。そういう悟浄は、そういった経験をたくさんお持ちなんですね」
 あまりこの手の話題を続けていたくなくて、八戒はわざと話題をそらそうとする。それに気づいたのか悟浄はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「俺は今まで特定のオンナとつきあったことねーから、そーゆーのよく判んないのよ。だから、お前に訊いてるんだってば」
「……悟浄、貴方ね……」
 悟浄はどうあっても逃してくれる気はないらしい。八戒は深々とため息をつくと、食事を再開するために手を動かし始めた。
「とりあえず、三蔵とそんな約束はしていません。だから、悟浄、いっしょにあのお酒で乾杯でもしませんか?」
「ふーん。それでもいいの、お前?」
 悟浄から的外れな返事がかえってきて、八戒は意外そうに彼を見つめ返した。いったい彼は何を言っているのだろうか。彼の真意が読めなくて、八戒は軽く小首をかしげる。
「悟浄?」
「三蔵に会いてぇとか思わない?」
 悟浄の探るような視線が八戒に突き刺さり、思わず息を呑む。そして、八戒はゆるゆると息を吐き出すと、悟浄から目をそらした。
「そりゃ、会いたいですよ。でも、だからといって簡単に会える相手でもないですからね」
 そう言って、八戒は淋しげに微笑んだ。それは悟浄に言われるまでもなかった。会えるものなら会いたいに決まっている。ただ、互いの立場上、そう簡単にいかないこともよく判っていた。だから、たまに時間を作って会えるだけで満足しようとそう自分に言い聞かせながらここまできたのだ。
 そんな八戒に、悟浄はにやりと口の端を上げて笑った。彼の表情の変化に、八戒はいぶかしげに悟浄を見返す。
「おし。じゃあ、俺のお前へのプレゼントは決まりだな」
「……はい?」
 悟浄の言いたいことがさっぱり判らない。まったく脈絡のないことを言い出した悟浄を胡乱げに見つめる八戒を、彼はまあまあと楽しそうに制した。そして、さらに悟浄はその笑いを深めて、右目で器用にウインクをしてみせた。
「まあ見てなって」
 有無を言わさぬ悟浄の言葉に、八戒はただ頷くことしかできなかった。




「こういうオチ、ですか……」
 八戒は呆れ半分で呟くと、深いため息をひとつもらした。とはいえ、悟浄の言葉にのせられてこうして木に登っているあたり、自分も大概だなあと思わずにはいられない。
 結局、夜になって悟浄がジープを走らせた先は、なんと三蔵が在籍する寺院だった。到着したのは既に門限を過ぎている時間だったから、正面の門から入ることはできない。いったいどうするのかと悟浄を問い詰めると、彼はにやにや笑いながら、とんでもないことを言い出したのだ。つまり。
 悟空から聞き出した秘密の抜け道があるから、そこから入ればいいと。そして、三蔵の部屋に行くには、その部屋の前に悟空がいつも出入りに使っている大きな木があるから、そこをつたっていけばたどり着けるはずだと。
 そんなことを言い出した悟浄に、八戒は思わず絶句した。要は会いたいなら会いにいけと、悟浄なりにお膳立てをしてくれたらしいのは判る。しかし、このあまりに行き当たりばったり的な大雑把さは、悟浄らしくて八戒は返す言葉もなかった。
 けれど、八戒の背中を押そうとしてくれた悟浄の気持ちはとても嬉しかった。その心遣いに後押しされるように、八戒は目的の部屋を目指す。
 どうしても、今日のうちに彼に伝えたいことがあった。だから、悟浄からのプレゼントらしきこの機会をありがたく利用することにする。
 ようやく三蔵の部屋の前までたどりついて、八戒はふぅと肩で大きく息を吐いた。窓越しの見える彼は、政務机に座って仕事中のようで、八戒からはその背中しか見えない。八戒はふわりと目元をほころばせると、こつんと二回外から窓を叩いた。
 途端、弾かれたように三蔵が振り返る。そして、窓越しに八戒の姿を見つけた刹那、心底驚いた露骨な視線を向けてきた。あまりに予想通りの三蔵の反応に、八戒は苦笑を禁じえない。
 三蔵はものすごい勢いで窓を開けると、仏頂面のままぐいと八戒の腕を取り、強引に自室へと招き入れた。そんな彼の行動に口を挟む間もなく、三蔵の手によってあっという間に窓も閉じられ、あまりの事のすばやさに八戒はぽかんと彼を凝視した。
「あの、」
「なんでここにいる?」
 三蔵は不機嫌そうな声音を隠しもしないで、語気強く八戒に尋ねてくる。それへ、八戒はゆるりと笑みを刷いた。
「悟浄のプレゼントだそうです」
「――ああ?」
 何でここで河童の名前が出てくるんだよ、と三蔵の顔にはっきりと書かれていて、八戒はくすりと微笑んだ。三蔵が目の前にいるというだけで何だか舞い上がっているなあ、とそんな自分に苦笑いするしかない。
「この部屋までの秘密の通路を教えてもらったんです。それが僕への誕生日プレゼントらしくて。それに、僕も今日のうちに貴方に会いたかったから、ありがたくそれを教えていただいてここまで来ました」
 お忙しいところ、突然すみませんでした。と八戒が頭を下げると、三蔵はますます顔をしかめた。もしかして、突然しかも夜に押しかけたりなんかしたから三蔵の機嫌がよくないのかなあと、八戒はこっそりとため息をもらした。確かに、思い切り三蔵の仕事の邪魔をしているような気がする。
 それならば、言いたいことだけ言って早々に立ち去ったほうがいいかと思い、八戒は再度三蔵に向かいにこりと微笑んだ。
「プレゼント、どうもありがとうございました。僕、あの贈り物を見るまで自分の誕生日のことをすっかり忘れていたんですけど、すごくすごく嬉しかったんです。だから、そのことだけでも今日貴方に伝えられたらなあと思っていたので、こうして会いに来ちゃったんですが……。用件はそれだけなんで、僕はこれでおいとましますね」
 もう一度ありがとうございましたと三蔵に向かいぺこりと頭を下げて、八戒は再び来た道を戻ろうと窓に手を掛けた。途端、それまでろくに八戒の顔を見ようとしなかった三蔵が、引き留めるように八戒の右腕を掴んだ。そして、深々とため息をついてきつく八戒を見据えてきた。
「お前、……判ってんのか?」
「……三蔵?」
 三蔵の問いかけの意味が判らなくて、八戒は思わず彼の名前を口にする。すると、ぐいと掴まれていた腕を引かれたかと思うと、一瞬にして三蔵の懐へと抱き込まれてしまった。その、あまりの展開に八戒はただ彼のなすがままだった。三蔵の腕のなかで、身じろぎもできないまま固まっている。
 三蔵はきつく八戒の痩躯を抱きしめると、その耳元に口元をよせて息を吹きかけるようにささやいた。
「せっかく我慢していたのに、……こんな時間に来られたら帰せねぇだろうが……!」
「……っ、」
 ――それは三蔵も八戒に会いたいと、そう思っていたと自惚れてもいいのだろうか?
 三蔵からの抱擁と思いがけないそのささやきに、八戒の身の内を甘い痺れが駆け抜ける。一気に足元からくずれそうな感覚に、すがるものを求めて八戒は三蔵の背をきつく抱きしめ返した。そして、彼に向かいうっとりと呟く。
「いいですよ、帰さなくて」
「本気で言ってんのか」
「もちろん、本気ですよ。……いつだって、僕は」
 八戒の言葉に、三蔵はふ、と口の端を上げて笑った。そして、再び八戒の耳元へと唇をよせてきた。かすめるようなキスを落としながらささやきかける。
「これから二人だけで祝おうか」
 ――お前の誕生日を。
 それへ、八戒は心底幸せそうに破顔した。これ以上のものは望むまでもなかった。








 そして、二人はゆっくりと三蔵の寝室へと消えていく。
 これから、本当の誕生日を過ごすために。








FIN

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