アナタノモノ




「――あれ、貴方だけ、ですか」
 街中までひとりで買い出しに出ていた八戒が、漸う夕食前までに宿に帰りつくと、本日宿泊予定の四人部屋には悟浄しかいなかった。
 その悟浄はというと、部屋の中央に置かれているテーブルセットの椅子にだらしなく腰掛け、かなりつまらなさそうな渋い表情を浮かべながら、暇そうに煙草を咥えている。とっくの昔に、街へ遊びに出掛けたと思っていた人物だけが残っていた現状に、八戒も思わず声を上げてしまった。
「ナニ。いたら悪ィのかよ」
 八戒の物言いに、悟浄がむっと顔をしかめる。それに苦笑しつつ、八戒はテーブルの上に、買ってきたひと抱え分の荷物を置いた。そして、すまなさそうに、ちらりと悟浄を見やる。
「スミマセン。そういうつもりじゃなかったんですけど、…三蔵と悟空は?」
「生臭坊主は煙草買いに、猿は風呂に行った」
「で? 貴方は出掛けないんですか?」
 机の上で買出し荷物を片付けながら、くすくすと笑みを零すのに、悟浄は紫煙をこれ見よがしに吐き出しながら、じろりと八戒を睨みつけた。そこに浮かぶ、どこか拗ねた雰囲気に、八戒は苦笑を禁じえない。
「出掛けよーにも、ココ、全然オンナいねーんだもん。つまんねー」
「へえ? 貴方好みのかたがまったくいないんですか?」
「そーそー。せっかく久しぶりの街だっつーのに…。――八戒、ナニ笑ってんだよ!」
 本当に拗ねた子供そのもののような悟浄に、八戒は笑いを堪えきれずに、くつくつと喉を震わせた。まったく、どこまでもエロ河童ですねえと、八戒はおもしろそうに笑い続ける。
「いえいえ、悟浄の好みの女性って、具体的にどんなのだろうと思っただけですよ」
「……16から32」
 ぼそりと呟かれた数字に、八戒の作業の手が思わず止まった。――今、彼は、何と?
「――はい?」
「だから、俺のオンナの好みだろー? 守備範囲がソレっつーコトで」
 にっと口の端を上げて言い切る悟浄を、八戒はふと見つめた。そして、そろりと視線を泳がして、ふ、とため息を漏らす。確かに、この街では、何故か中年にさしかかったであろう年齢の女性しか見かけなかったが。
「貴方、本当に若い女性であればいいんですね…」
「ナンだよ、その顔。んじゃ、ナニか? そーゆー八戒さんのオンナの好みはどーよ?」
 八戒の言い方が気にいらなかったのか、悟浄が挑戦的な口調で訊いてくる。八戒は買出し荷物すべてを整理し終えて、そのまま悟浄の向かい側の椅子に腰掛けた。
「僕ですか? そーですねぇ、……強いて言えば、笑顔が似合うひと、かなあ…」
「ふーん。なのに、男の好みは三蔵、なワケ?」
 悟浄の、どこか含みのある物言いに、八戒は、一瞬瞠目して体を固くした。だが、すぐににこりと笑みを形どって、目の前の彼を見据える。
「もしかして、僕の好みは貴方、とでも言って欲しかったんですか?」
「っつーより、あの生臭坊主のドコがいいんだろーと思ったダケ」
 空々しい笑みを浮かべながら、悟浄が目を細めて八戒を見つめ返してきた。それに、八戒は内心で小さくため息をつく。
 どうして、三蔵がいいのかなんて。
(僕が、訊きたいくらいですよ、――まったく)
 それでも、三蔵がいいのだ。そして、信じられないことに、三蔵も八戒と同じように、想いを返してくれている。ただ、今まで、こういうカタチででも彼との仲について悟浄が口を挟んだことなどなかったから、正直八戒は驚いていた。だから、その胸中のささいな動揺を彼に悟られないように、八戒は笑顔のヴェールを貼り付ける。
「どこがと言われてもねえ…。確かに、どうして貴方じゃなかったのかなあと、思う時はありますけど」
「それ、マジで?」
 不意に、悟浄の手が机の上に置かれていた八戒の手を掴んだ。どこか、真剣な色を湛えた悟浄の紅瞳に、八戒は思わず息を呑む。
「悟浄?」
「実は、俺――」
 ――バタンッ!!
 突如、八戒の背後から響いた扉を開ける派手な音に、二人ともがそのままの姿勢で固まる。そして。
「どうやら死にてぇみたいだな、クソ河童」
 チャキ、と安全装置を外す音とともに、悟浄の額に、三蔵の愛銃が押し当てられた。悟浄の顔色が一瞬にして変わる。
 その、あまりの展開に、八戒はただ呆然と成り行きを見守るだけだった。
「お前、いつから聞いてたんだっ!?」
「うるせぇ。覚悟はいいだろうな? ひとのモンに手、出してんじゃねぇよ」
「そんなん、この場にいないテメェが悪……おわっ!」
 悟浄の言い訳など聞く耳持たずと、三蔵は不機嫌な面を隠しもしないで、そのまま悟浄に向けて発砲した。それを悟浄は間髪のところで器用に避けると、上目遣いで三蔵をきつく睨めつけた。
「ひとに向かって撃つヤツがあるか! 死ぬかと思った…」
「いっそ、死ね」
 三蔵は忌々しく吐き捨てるようにつぶやくと、再度悟浄に向けて銃弾を一発放つ。悟浄はそれもどうにか避けると、やってられないとばかりに、部屋の入り口まで逃げ込む。そして、悔しげに三蔵を睨むと、そのままドアノブへと手をかけた。
「ったく、この破戒僧がっ! 俺は、今晩はもう帰らねぇからな」
 そう言い残して、悟浄は早々に部屋から退散してしまった。後は、八戒と三蔵だけが残される。
 三蔵は深々と嘆息しつつ、使用後のS&Wを懐に収めると、八戒の斜め向かいの椅子に腰掛けた。それまで事の成り行きを黙って見つめていた八戒だったが、不意に心底嬉しそうに破顔する。それに、三蔵は、胡乱げに紫眼を細めた。
「……何、笑ってやがる」
「いえ、――貴方の一言が嬉しくて」
「ああ?」
 三蔵はいぶかしげに眉宇をよせる。その貌に、はっきりと「何言ってんだ!?」と書かれていて、八戒はますます笑みを深くした。
「さっき、『ひとのモン』と、そう言ってくれたでしょう? 僕は貴方のものだと」
 それが何より嬉しかったんです、と、八戒が告げると、三蔵は一瞬目を瞠った。だがすぐに、くつりと、口の端をつり上げて笑い始める。
「お前は俺のモンだろ? ――違うか?」
「いいえ」
 三蔵はすっと立ち上がると、八戒の腕を取り、そのまま椅子の真後ろにある寝台へと押し倒した。八戒の躯が寝台の上に仰向けになる。その体制のまま、八戒の躯に乗り上げる形で見下ろす三蔵の視線とぶつかった刹那、八戒はふわりと微笑んだ。
「僕は、貴方のものですよ。でも、貴方が、はっきりと言ってくれたのが何より嬉しかったんです」
 そう。判ってはいても、普段の三蔵は、そういうことは滅多に口にはしないから。
 だから、本当に八戒は嬉しかったのだ。彼の、その一言が。
 八戒の言葉に、三蔵は神妙な表情のまま、噛み付くように口づけてきた。その、呼吸すら奪い尽くすようなきつい接吻に、八戒の息も一気に上がる。ふと、唇が離れた刹那、八戒はそっと三蔵の右頬へと手を伸ばした。
「でも、貴方も、僕のもの、ですよね…?」
 そう言って婉然と微笑む八戒に、三蔵もくつりと笑みを刷いた。そして、八戒の耳元に息を吹き込みながら、誘いをかけるように低い声でささやく。
「ああ、……だから、俺も今、お前が欲しい」
 耳元から伝わる熱に、ぞくりと、八戒の背筋を甘い痺れが走る。これほどの甘美な誘惑を前に、八戒に否と言えるわけがなかった。だから、八戒はそろりと三蔵の背に腕を回して、あでやかな笑みを彼に向けた。
「僕は貴方のものだと、確認して下さい。そして、貴方は僕のものだと、確認させて下さい…」
 その言葉に応えるように、三蔵は再度八戒へと接吻けた。始めから八戒を追い上げるように、口腔内を蹂躙してくる三蔵の動きにあわせて、八戒もぎゅっと彼の背中に縋りつく力を強めた。




 僕は、貴方のものだから。
 でも、貴方も僕のものであると、――確かめさせて。








FIN

「580」のキリ番を踏まれた鈴華りん様のリクエストでした。お題は「38に悟浄が絡むお話」。

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