理由




 面倒極まりない。
 天蓬は心中で、元凶たる己の軍大将に対して悪態をつきつつ、城中の回廊を颯爽と闊歩していた。事後処理の事を思えば、自然に西方軍本館へと向かう足は速くなる。
 捲簾が北方軍元帥と一悶着を起こしたのは、つい先日のこと。
 軍人同士の諍いなど、さして目くじらを立てる必要はないほど、実際は日常茶飯事である。特に、捲簾はその輝かしい戦歴と同じくらい、語り草になるほど諍い歴の多い男であった。
 ただ、今回は相手が悪すぎただけだ。
 天蓬とほぼ同時期に元帥職へとついたその男は、確かに経歴としての戦果は華々しいものの、あまりできた人となりをしてはいなかった。どちらかというと人望には欠ける扱いづらい相手で、天蓬も出来ればこの男とは必要がなければ近づきたくもないと思っていた。話が出来ない相手と無駄な会話をかわすことほど疲れるものはない。なのに。
 捲簾のせいで、結局天蓬が仲裁に入る羽目になってしまったわけで。
 よりにもよって、一番面倒な相手を怒らせたものだと、天蓬も思わずため息を漏らす。北方軍自体が他軍よりもずっと貴族に近しいものを優先的に集めて編成されているせいか、変な矜持だけは高い、話の通じない輩が多いのだ。そのため、北方軍の本館は、貴族たちの城と隣接して建てられているくらいである。
 ということは、金蝉の住まう城にも近いのだが。
 そこで、ふと、脳裏をよぎる金色の光を想い、天蓬は短く息を吐いた。
 もうかれこれ、――二ヶ月近くも金蝉と会っていない。
 理由(わけ)あって、捲簾の上官という地位にありながら彼の副官に就任するという変則的な事態になってから、天蓬の抱える仕事は一気に増えた。どちらかというと、こういった雑務が格段に増えた気がする。
 今はまだこの状態に慣れないのもあって自分の時間というものが削られてしまっているが、もう少しすればこのペースにも慣れて、少しは時間も取れるはず。そう自分に言い聞かせながら、天蓬にしてはめずらしく読書の時間も削って仕事をこなしているうちに、気がつけば金蝉の顔すらまともに見ることが出来ないまま、無常にも時間だけは過ぎていく。
 これが、金蝉が自分から動く性格をしていれば違ったかもしれない。だが、どこまでも受身なかのひとは、まず自分から行動を起こすことはしない。
 いつもいつも、足を運ぶのは天蓬のほうから。
 だから、今のように天蓬から金蝉の元へ訪れる時間がないと、いつまでもすれ違ったままな関係。
(――あ、なんだか腹がたってきたかも。)
 こういう時ですら、自分から動いてくれない金蝉に対しても、納得がいかないといった怒りに近い理不尽な感情が胸裏に浮かび上がってくる。それに、天蓬は思わず眉宇をしかめつつ、さらにその感情に煽られたように歩速を早めた。
 こんなとき、不意に天蓬は不安になる。
 どうして金蝉は自分を選んでくれたのか、と。
 彼から向けられる想いに嘘偽りがないのは、判る。けれど、それは直接金蝉と対峙しているときには疑いようもないくらいはっきりと判るのに、いざ、こうして離れてしまうと不意に見えなくなってしまう。
 ――金蝉が。まぶしすぎるから。
 もしかして、そのせいで彼の瞳が眩んで、それで――。
 そう、埒もないことを考え始めた頭をわざと振り、天蓬はふと視界をかすめたとあるものに気づいて足を止めた。
「――あ。」
 それは、上級神たちの住まう城の端に位置する小さな箱庭のなかに凛と佇む一本の大きな桜の樹であった。どうやら考え事をしながら歩いているうちに、回廊の曲がり口をどこかで間違えてしまったらしい。
 ただ、そこは天蓬にとってもなつかしい場所だった。かつて、まだ軍に入るよりずっと前に、何度か訪れたことがある。
 場所が場所だけに、滅多にひとが足を踏み入れることはないこの箱庭は、ちいさな天蓬がたまに訪れる格好の昼寝場所だった。観世音菩薩一族の学師として出入りしていた父について、幼いころは金蝉とともに机を並べて学問を学んでいたこともあり、当時はこの城内をくまなく歩き回っていた。その時に見つけたのが、このひっそりとした小さな庭と、そこで孤高に花咲く桜の大木。
 なつかしさに、天蓬はついそのまま庭へと足を踏み入れ、まっすぐに桜の樹の下へと向かった。そして、そろりと掌で幹に触れる。軍に入ってからは、金蝉の部屋と対極に位置するここへはまったく来ることはなかったから、随分と久しぶりだった。
 昔をなつかしむ気持ちが浮かび上がって気が緩んだせいか、どっと肩に疲れがのしかかる感覚が襲ってきた。天蓬はゆるゆるとため息をついて、ふと視線を頭上で咲き誇る桜へと向けた。はらりと舞い散る薄い花弁が天蓬の視界をかすめる。ゆるりと、こぼれ落ちるような、流れるような花びらの動きに誘われるように、天蓬はゆっくりとその樹の根元に腰を下ろした。
 少しくらい、ここで休んでいくのもいいかな…。
 そう思わせるゆったりとした時間の流れを感じて、天蓬はそっと瞳を閉じた。そして、こつんと頭と背中を大木に預ける。
 しばらくは、このたゆとう桜の花びらの元で、ささくれ立った気持ちを落ち着けるために。
 押し殺せない不安とともに。



 ――とりまく気配が、変わった。
(眩しい……)
 意識の隙間に差し込むような光を感じて、天蓬はうっすらと双眸を開けようとした。途端、薄目に飛び込んでくる金の光に、天蓬は知らず息を呑んだ。同時に、脳裏に浮かび上がる既視感に胸中で相槌を打つ。
(ああ、これは――)
 ちいさな金蝉の手だ。まっすぐに、天蓬に向かって差し伸べられた、手。天蓬を導く、手。光そのもの。
 確か、あのときもこうしてここでひとり目を閉じていた自分に、金蝉はなんのためらいもなくすっと手を伸ばしてきた。まだ、こんな恋うる気持ちなど知らなかったころの、暖かいなつかしい記憶。
 いつだって、この手と光に救われてきたような気がする。
 その金蝉の姿を瞼の裏に浮かべて、天蓬はほぅ…と息をもらした。こんなふうに、過去の残像を追い求めてしまうほどに、金蝉に飢えている自分を自覚してただ呆れるしかなかった。
 と、――その時。
「――いい加減に目を覚ましやがれ!」
 突如耳元で響いた聞き慣れたひとの声音に、天蓬はそれこそパチリと音がしそうな勢いで瞼を開いた。果たして、そこには天蓬の予想通りの声の主である金蝉が、天蓬の真前に仁王立ちして見下ろしている。
 もちろん、ちいさな金蝉ではなく、大きな金蝉が。
「あれ、――なんで金蝉がここにいるんです?」
 いまいち状況が把握出来なくて、天蓬は苦笑を浮かべながら眼前の彼を見上げた。すると、金蝉はますます不機嫌そうに眉間の皺を深くした。
「ここんとこお前忙しそうで全然会えなかったじゃねぇか。それで、久しぶりにこっちの城でお前の姿を遠目で見かけたからあわてて追いかけたんだが。……お前、ものすごい勢いで歩いていくし、声をかける前にあっという間に見失って探したらこんなところにいるじゃねぇか」
「ああ、……それはすみませんでした。ちょっと頭にきてたんでかなり早足でしたよね僕」
「かなりな」
 ため息混じりの金蝉のつぶやきに、天蓬はふわりと口許を緩めた。
 ここで、金蝉が自分を追ってきてくれたと、ただそれだけの気持ちに、うれしくなる。金蝉が、ちゃんと自分を見ていてくれる、それがとてもうれしくて。――だからこそ。
 天蓬は意味ありげにうすく笑みを貼り付けて、じっと金蝉を見つめ返した。その笑顔の変化に気づいたのか、金蝉の柳眉が訝しげにひそめられる。それにかまわず、天蓬は彼を見据えたまま口を開いた。
「なんで僕なんです?」
「…何がだ?」
 ――理由が知りたい。ただ、それだけだ。
「だから、――金蝉は僕と会えなくてさみしくなかったですか…?」
 何故、金蝉は自分を選んだのか、その理由を。
 それなのに、自分でも支離滅裂なことを口にしている自覚があった。瞠目する金蝉の表情に、ますます天蓬は胸裡をよぎる想いをぶつけるように言葉をしぼり出した。
「僕が忙しいと会えないのは、いつも金蝉から来てはくれないから、ですよね? もしかして、会いたいと思っているのは僕だけ、」
「何言ってやがる」
 天蓬がすべてを言い切る前に、めずらしく金蝉が言葉尻を奪うように口を挟んだ。意外な彼の行動に、天蓬はまじまじと金蝉を見つめ返す。
「ここんとこ、いつ行っても部屋にいなかったのはお前だろうがっ。例の大将の副官とやらになってから、殆ど出ずっぱりで……、それなのにさみしいか、だと?」
 金蝉も多少は怒りを感じているのか、紫暗の双眸がきらきらと煌めいている。その様すら綺麗だと思う自分がおかしくて、天蓬は一瞬その姿に見とれた後、くつくつと喉を震わせた。
「……何、笑ってやがる…」
「すみません。…いえ、うれしかったんですよ金蝉」
「はあ?」
 金蝉の困惑ぎみな白貌をちらりと眺めて、天蓬はそろりと目を伏せた。そして、彼に気づかれないよう自嘲の笑みをはく。
 こんなふうに彼を試すようなことを口にする自分が浅ましくて。
 それでも、こうして、金蝉からはっきりと向けられる特別な想いを感じることが出来るうれしさに叫び出しそうになる。そう、こうして彼と直接会えば、ちゃんと判る。自分が金蝉にとって、「特別」だということはちゃんと。
 けれども。
 その「特別」の理由を、金蝉の口から語られたことは一度としてないのだ。
 だから、こんなにも不安になるだろうか。離れれば離れるほど。物理的な距離という、判りやすいかたちがないと。
 もしかしたら。
 金蝉の選択肢のなかに、「天蓬」しかいなかったから?
 だから、金蝉は自分を選んだのかもしれない。
 そんな不安が、離れれば離れるほど天蓬の胸中をよぎる。それは、普段は意識しないようにしていても、今みたいにふとしたきっかけでそろりとしのびよってくる。まるで、天蓬の足掻きをあざ笑うように。
 そして、今もさらりと口にした天蓬の最初の問い掛けに、金蝉は答えてはいない。
 例えば、金蝉の、天蓬に向ける「特別」の理由が。
「いいんです。金蝉が僕のことをちゃんと見てくれているのなら、それで」
 ――流されているだけなのだとしても。
 それでもいいから。どうか。
 天蓬が伏せ目かちにひっそりとつぶやくと、金蝉がため息をついたらしい。ちいさく漏れた彼の困ったような雰囲気に、天蓬はますます微苦笑を深めた。多分、天蓬の意味不明な物言いに呆れているのだろう。わざと彼を困らせるような言葉ばかりを選んでいる自覚はあった。いい加減顔を上げないと、と思った、刹那。
「お前以外いないだろうが。――行くぞ」
 すっと、まっすぐに天蓬の前に差し出される金蝉の手。
 あの時とまったく同じ光景に、天蓬は思わず目を見開いて茫然と金蝉を見上げた。途端、きらりと、金蝉の肩越しに陽光と彼の金糸が重なり、まばゆいばかりの光の輪が出来る。
 昏い底から掬い上げてくれる、光の導き手そのもの――。
 その光に、決してあがなえるはずもなく。天蓬はそっと彼の手を取ると、その腕に引き上げられるように立ち上がった。ようやく二人の目線が同じ高さになる。それに何故か安堵を覚え、天蓬は短く笑みをこぼした。
 すると。
「――…っ、」
 金蝉の顔が真近に、と思った瞬間、彼の唇が自分のそれに押し当てられていた。口づけられている、とようやく頭で認識した時には、既に金蝉は離れた後で。
 金蝉が自分から口づけるなど滅多にない。その、めずらしい彼の行動に、天蓬が意外そうな目付きで思わず金蝉を凝視すると、彼の面が一気に朱に染まった。
「し、したかったから、しただけだっ。……だから、行くぞ天蓬!」
 慣れないことをしたとの自覚があるのか、金蝉は顔を赤らめたまま踵を返すと回廊に向かい歩き始めた。その彼の姿を幸せそうな笑みを浮かべて眺めつつ、天蓬もその後に続いた。



 金蝉の流れる金糸を目で追いながら、天蓬はまるで祈るように胸裡でささやく。
 ――どうか。
 目を覚まさないで。





 その理由を、知らないままでも、いいから。
 ――僕を、選んで。








FIN

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