ずるい




「――バカじゃないんですか」
 地面にひっくり返っていた悟浄を見下ろしながら、八戒は呆れを存分ににじませた声音で吐き捨てるようにつぶやいた。
 まるで塵クズのように転がる彼と、この場にいる羽目になった自分自身にも向けて。



 賭博を生業として夜の時間帯に活動している悟浄が、翌朝になっても帰宅していないことなど間々あることだ。
 彼の身を置く場所が真っ当な世界でないことなど、同居人たる八戒は重々承知している。さまざまな紆余曲折があって、結果的に悟浄の家に居候している身の上であるが、そんな彼を心配することなど詮無きことと割り切っている。実際、彼の生き様に口をはさむ権利など、八戒にはない。だからこそ、朝になって八戒が起きたときに悟浄の姿がなくとも、気にしたりは、しない。必要以上に、互いに干渉しあわないことで、悟浄との同居生活が続けていけているのだから。
 だから、今朝も家主がいまだ姿を見せずとも、八戒はいつもと変わらず街まで買い物に出掛け、顔なじみの八百屋で女将と談笑しながら野菜を購入していたとき、これまた違う意味で顔なじみになってしまった、悟浄とつるんでいる同年代の男から声を掛けられた。
 いわく――悟浄が厄介ごとに巻き込まれて、倉庫でぶっ倒れているから引き取りに来てほしい、と。
 途端、八戒の柔和な笑みが一瞬にして寒々しい笑みへと変化する。顔は笑っているのにその雰囲気をつめたいものに一転させた八戒に脅えつつも、男は八戒をくだんの場所へと案内した。後はヨロシク、と早々に退散した男を尻目に、八戒はさびれたレンガ造りの倉庫の入り口をゆっくりと開けた。
 ギギ、と建てつけの悪い木の引き戸が嫌な音を立てる。灯りがまったくない暗闇の中、何も置かれていない倉庫の中央付近に横たわる人影を見つけ、八戒は深々と嘆息した。
 今は使用されていないのだろう倉庫内は、足を踏み入れるほどに埃臭さと土臭さが鼻につく。八戒は神妙な面持ちでひとらしき紅い物体――どう見ても悟浄である――に近づいていく。入り口の引き戸は光源を得るためにあえて開けたままにしてきたから、開け放った隙間から差し込む陽光に気づいたらしい悟浄が、うめくように身をよじった。
「……っ、まぶし、」
「――バカじゃないんですか」
 悟浄の前までたどり着いた八戒の口から思わずこぼれ落ちたのは、辛辣な一言だった。その声音に驚いたのか、悟浄は弾かれたように上半身だけを起こす。
「はっ、かい?」
 ナンでお前がここにいるんだよ、と傷だらけの面にはっきりそう書かれていて、八戒の渋面がさらに深まる。来たくてここに来たわけではない。だが、来ずにはいられなかった。そんなおのれの葛藤を見透かされないように、胸のうちに凝る息を吐き出す。
「お名前は存知あげませんが、買い物中貴方のお連れさんに会って、悟浄が動けなくなっているから引き取ってくれと頼まれまして」
「あー……」
「今回は浮気相手に間違われて、女性をかばったあげくこの有様とか、どこまでバカなんですかまったく」
 憎まれ口だけはよどみなく出てくる。八戒は仁王立ちのまま、悟浄をじっと見つめた。
「……ベツにほっときゃよかっただろ俺のコトなんか」
「まったくです」
 ぷい、と八戒から顔を背けた悟浄へと追い討ちをかけるように、八戒は断言した。そう、ほうっておけばよかった。暗黙のうちに不干渉を決め込んでいるからこそ、彼とはうまくいっているのだ。それでも、こうして足を運んでしまったことは、ひとえに八戒がそうできなかったから。
 何より、八戒がこうして動けなくなった悟浄を引き取りに足を延ばすこと自体、初めてではない。だからこそ、先ほどの名前も知らない悟浄の連れの男と顔見知りになっているのだ。八戒は呆れながらも、声掛かりがあれば毎回このように彼の許へと向かう。
 ――そう。
 ほうっておければ、よかった。
 これでは、八戒の眼下で痛々しい姿をさらしている、巻き込まれなくてもいい面倒ごとの巻き添えとなって、満身創痍になるお人好しの愚か者とまったく変わりがない。だから、そんなおのれ自身に対して言い聞かせるように言ったのだ――馬鹿じゃないかと。
 何より、どうしてほうっておけないのか、その感情の根源さえも八戒は自覚している。だからこそ、余計にたちが悪い。
 わざと目を細めて、表情をおもてに出さないように悟浄を凝視している八戒に向かい、悟浄はそれまで強ばらせていたらしい口許をふいにゆるめた。そのまま、ゆっくりと八戒を見上げる。
 そして、八戒と目が合った途端、くつりと自嘲ぎみに喉を鳴らす。
「……そうか」
「何がです」
「イーヤ、ナンでもねえ」
 ひとりで納得している風の悟浄を、八戒はいぶかしげに見やった。急に笑い出したかと思えば、妙にすっきりした顔をしている。それが、八戒にはどうにも腑に落ちないし、気にいらない。
 そんな八戒の困惑すらも受け流して、悟浄は唇の端をあげて見せつけるようにわらった。痛そうにうめきながらも、悟浄はゆったりとした仕種で、なんとか立ち上がる。
「お迎えありがとサン」
 地面に転がっていたせいで全身土埃だらけの身体から、悟浄はそれらを叩いて落とす。その埃が間近に立つ八戒の許まで届くものだから、わざと咳き込んでみせた。
「ちょ……ここではたくのは止めてくださいよ」
「へいへい。……お前、俺のコトあれこれ言うけど、十分アレだよな」
「アレとかなんですかいったい」
 同じ目線になった同居人たる――つまりは八戒の想いびとたる男の曖昧な物言いに、わずかな苛立ちをにじませて眦をすがめる。すると、悟浄はこれ見よがしに、口端をあげた。
「要は、俺をつけあがらせてるってコト」
「――」
 このタイミングで、悟浄がそれを口にするとか。意味がわからないと、八戒は信じられないものを見るような目付きで、まじまじと悟浄を凝視した。本当に、この男は、どこまでも――そう、
(――ずるい)
 八戒が抱えるかたちをなさないわだかまりや、自分ではどうしようもできない感情のありかを、容赦なく逆なでしていく。
 こうして、無遠慮な態で、八戒をどんどんと追いつめていくのだ。
 八戒の戸惑いを余所に飄々としている彼に対して、どうにもくやしさを覚える。このままやられっぱなしは性にあわない。だから、八戒は気持ちを落ち着けるように深呼吸をしてから、ぐっと右手で握り拳をつくりその勢いのまま悟浄の鳩尾へと一発食らわせた。
「――グッ! って、いきなりナニすんだよ八戒!?」
「迎えに来た同居人に向かってロクでもないことを言ったひとへの教育的指導です」
 それでも、完全に気持ちが晴れたわけではないけれど。
 八戒を振り回すことに長けた、どこまでもずるい男をほうっておけない時点で、おのれの負けなのだろう。
 身体を折り曲げてうめく悟浄を見つめながら、八戒はそっと諦めの吐息をこぼすしかなかった。



 ――彼とは今のままでよし、としている時点で、八戒自身も『ずるい』に違いないのだから。








FIN

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