彼氏が浴衣に着替えたら〜 touch me tender 〜




 立ち並ぶ屋台と屋台の間の通りは、祭りを楽しむ人の波でごった返していた。
 既に秋にさしかかっているせいか、いくら人ごみの中とはいえ、完全に日が落ちきった空気は涼しいというよりも、どこかひんやりとしている。
 けれど、そんなわずかな肌寒さも、隣りに並ぶ浴衣美人――めずらしくとても楽しげな表情を浮かべている彼を見ていると吹き飛んじまうよな、と悟浄は内心でうれしそうにひとりごちた。
「どうしました、悟浄?」
 悟浄のほんのわずかな表情のゆるみに気づいた八戒が、穏やかな笑みを口許に浮かべながら問い掛ける。ちらり、と浴衣の合わせから覗く胸元にドキリと胸を弾ませながら、悟浄もニヤリと口の端を上げた。
「んー、祭りってーのも案外イイもんだなーって」
「そうですよね。こんなに楽しいものだとは思いませんでした」
 貴方、案外器用なんですねぇ、と金魚の入ったビニール袋を片手にくすりと笑み零すその仕種に、ますます悟浄は眼が離せなくなる。今日の八戒は、いつもよりずっと穏やかで、ずっとずっと楽しそうで。だから、今でも時折浮かべるどこか遠くを見ているような儚さのようなもの一切を殺ぎ落としたかのような晴れやかさすら感じられる。その分、彼の艶やかさもまた増しているように感じるのは、悟浄の気のせいではないだろう。
 それも、祭りに合わせて着ている浴衣のせいで二割増しアップ、といったところか。
 そう。
 悟浄が一人暮らしをしているうちはまったく回ってくることのなかった町内の回覧板がいつの間にか回ってくるようになったのは、この隣りにいる翠の瞳をした彼が悟浄とともに同居を始めたことがきっかけだった。
 そうして、その回覧板にて初めて、近くで秋祭りがあることを知ったのだ。
 祭りの案内を見た時、八戒がぽつりと「僕、こーいうのに行ったことないんですよねえ」とつぶやいたのを悟浄は聞き漏らさなかった。それから、とんとん拍子に二人でその祭りに出掛けることにして。それなら、と、八戒に強請り倒して浴衣を着てもらうことにも成功して。初めて見る彼の浴衣姿に、想像以上に色気を感じて悟浄はどきどきしながらも、連れ立って待ちに待った秋祭りへと足を伸ばしたのだった。
 秋祭りとはいえ、夜に開かれたそれは、昼に行われた収穫祭の後夜祭みたいなものだから、夏祭りに負けず劣らずにぎやかなものだ。もちろん、定番の金魚すくい、射的、宝釣りといった屋台がずらりと軒を連ね、どの屋台も楽しむ人たちで盛況だった。
 悟浄と八戒も、せっかくだから、と金魚すくいや宝釣り等に興じた。周りの雰囲気に酔うように、祭りそのものを楽しんでいる風情の八戒に、悟浄もまたうれしげに紅眼を細める。
 ただ。
 悟浄の予想以上に浴衣の似合う恋人にやられているのは、どうやら悟浄だけではないらしく。
 多分八戒は気づいていないのだろうが、ちらちらと他の野郎どもが八戒にあらぬ視線を向けてくるのを悟浄は問答無用で蹴散らしていた。もちろん、射るような視線ひと睨みで、ガツンと。
 そんな悟浄の苦労などおかまいなく、八戒はさらに口許に笑みをのせた。一点の曇りも感じられないその笑顔は、なかなか悟浄でも普段見ることは出来ないほどの、心底楽しんでいると判るもの。
 その笑顔に、悟浄の口許にもまた自然に笑みが浮かぶ。
「楽しんでる、みてーだな」
「えぇ。……貴方とだから、余計に、なんですけどね」
 ふわりと花がほころぶように微笑む彼を、悟浄は思わず凝視した。
 衝動的に抱きしめたくなって腕を上げかけるが、ふと現状を思い出して我に返る。
 こんな公衆の面前で抱擁などをかましたら、間違いなく八戒にぶっ飛ばされるであろう。
 それは帰ってからゆっくりと、と自分に言い聞かせながら、悟浄は己の衝動をごまかすように肩をすくめながら笑う。
「そりゃあ、よかった。俺も初めてだけど、ホント楽しーわ」
 お前と一緒だからかな、とお返しのように言い返すと、目に見えて八戒の目が大きく見開かれた。
「……え。初めてなんですか悟浄?」
 意外そうな彼の言葉に、悟浄の眦がぴくり、と僅かに細められる。
 そんなに意外に思われることだろうか。悟浄が祭りというものに来たことがない、などとは。
「初めてって、言ってなかったっけ俺?」
 悟浄がとぼけたふうに言い募ると、八戒はますます困惑気味に目を瞠った。
「ええ、初耳です。悟浄のことだから、今までに何度も、その、女性の方と来たことがあるものだと勝手に思ってました。……すみません」
「だってよ、こーゆートコにオンナ連れてきたら後が面倒だろ? ぜってー、自分は特別だって誤解するもんな。しかも、次の日には、とんでもねー噂になってたりするしさ。そんなのやってらんねーって。だから、オンナ連れてきたことはねぇし、かといって祭りなんて一人で来るようなトコじゃねーだろ。だから、八戒と一緒で今日が初めてよ、俺も」
 煙草を咥えたまま、ニッと器用に唇端をつり上げると、八戒がなんとも言いがたい不可思議な表情を浮かべた。しいていえば、――そう、困っているふうにも見える、どこか落ち着かなさげな雰囲気に近い。それに気づいた悟浄のほうも、いぶかしげに眉宇を寄せた。
「八戒?」
「……それなのに、僕と祭りに来て、本当によかったんですか?」
「………………は?」
 八戒の真意が判らなくて、悟浄は怪訝そうに声を上げた。だが、八戒は悟浄から視線をそらしたまま、ため息混じりにひっそりとつぶやく。
「だから。……僕なんかと、一緒にこんなところへ来ちゃったら、後々面倒だったりするんじゃ、ないんですか……?」
 ようやく八戒の言いたいことが見えて、悟浄は思わず口から煙草を落としてしまった。吸い掛けのそれがまっすぐに二人の足元に落ちて、ジジッ……と小さな音をたてて消える。
「ナニ言ってンだよお前……。俺、ちゃんと言ったよな。『八戒、一緒に行こう』ってさ」
「……ええ」
「俺が、お前と、来たかったの。それなのに、そーいうコト言われると、傷ついちゃうンですけど?」
「悟浄……」
 わざとおどけた口調で言うと、それまでうつむき加減だった八戒がそろりと顔を上げた。少しだけ瞠目した後、うれしそうに、そして何より悟浄の大好きな、綺麗なキレイな笑みを浮かべる。
「すみません。……僕も、悟浄と一緒に来れてうれしかったから、貴方もそうだといいなぁ、と思ってたんですよ。ちょっと舞い上がってた自覚はあったから、つい貴方の言葉で余計なコトを考えてしまって…。本当に、」
「あー、もうそういうのはナシナシ! せっかくの浴衣デートなんだからさ、楽しもうぜ。な?」
 このままでは八戒の笑顔がまた曇りそうだと思った途端、悟浄はわざと彼の言葉尻を奪うように、この話題にきりをつけようと口を挟んだ。そこでようやく、八戒の端整な貌に微笑みが戻る。
「浴衣デート、なんてすかコレ」
 実際に浴衣を着ているのは八戒だけなのだが。そのことを揶揄する彼の口振りに、悟浄はくつくつと喉を鳴らした。
「そーそー。色っぽい八戒サンと一緒でサイコーってカンジ?」
「……ナニ言ってるんですか、もう」
 照れたようにほんのわずかだけ頬を染める八戒が壮絶に色っぽくて、悟浄は短く瞠目した。普段は胸元まできっちり隠れた服を身につけているせいか、さりげなく覗く鎖骨付近が目の毒この上ない。
 どきり、と高鳴る己の胸を宥めるように、悟浄はわざとらしくつい、と視線を外した。途端、ふと目に入った綿菓子の屋台を見て、そういえば急に空腹を覚える。八戒と金魚すくいやらゲームやらに夢中で、祭りに来てから何も食べてはいないことに気づいたのだ。
「なぁ、腹へらねぇ?」
「そういえばココへ来てから何も食べてませんよね。何か食べたいものとか、希望あります?」
 かなり規模の大きい祭りだけあって、一口に食べ物の屋台といっても、それこそありとあらゆるいろいろなものが出店していた。綿菓子、リンゴ飴、ホットドッグ、焼そばなどなど。そんななか、悟浄はゆっくりと歩きながら、ぐるりと周囲を見回した。
「アレアレ。たこ焼きっつーの?」
 丸く窪んだ鉄板に小麦粉を溶いた液体を流し込んで、長細い目打ちの先で器用にくるくるとひっくり返すその製作工程にひかれ、悟浄は少し先のたこ焼きの屋台を指差した。
 あぁ、と、にこりと笑いながら相槌を打つ八戒とともに、その屋台まで足を向ける。
「たこ焼きにしますか?」
「そだな。……なぁ、八戒。アレ、家でも作れンの?」
 確か、八戒がたこ焼きなるものを家で作って悟浄の前に出してくれたことは一度もなかった。最初は平らに流し込まれただけの乳白色のものが、いつのまにか作っている人の手によってまあるくかたちづくられていくその様がおもしろくて、悟浄は興味深げに鉄板の上を見続けている。器用な八戒のことだから、これくらいのこともやろうと思えば出来てしまうのかと、そう思ったのだが。
「うーん。悟浄のうちに、たこ焼き器ってなかったですよね確か」
「ナニ。たこ焼き器、とかゆーのがいるの?」
 スキヤキ鍋みたいなモン? と悟浄が聞き返すと、八戒は全然違いますよ、とさらに笑みを深めた。
「ええ。いくら僕でも、こーゆうちゃんと丸い窪みのある鉄板じゃないと作れないですよ。もし悟浄が家でもたこ焼きが食べたいなぁと思ったのなら、今度一緒に買いに行きます?」
「おぅ。それなら、今度二人でたこ焼き器買いに行こーぜ。その前に、ここでたこ焼き食おうなたこ焼き」
「はいはい。……たこ焼きひとつ下さい」
 八戒の一声に、屋台の主人が気前がいい掛け声とともにたこ焼きの入ったトレーを八戒の前に渡す。両手の塞がった彼の代わりに悟浄が代金を払って、あつあつのたこ焼きを手に再び道中を歩き出した。
「先に悟浄が食べます?」
 八戒がトレーごとたこ焼きを悟浄に差し出す。だがそれを受け取ることなく、悟浄はニヤと悪戯を思いついた子供のような笑みを口許にはいた。
「あーん♪」
 そして、お決まりの一言とともに、八戒の前にでかでかと大きく口を開けた。すると、一瞬だけ八戒は翠瞳を瞠ったが、悟浄の意図に気づいてすぐにカッと目元を朱に染め上げる。
「こんなところで何言ってるんですか、悟浄……」
「ナニって、デートの定番っしょ? ほれ、あーん」
 八戒はそれでも逡巡するように視線を泳がせていたが、ふいにきゅっと唇を噛みしめ、少し恨めしそうな、それでいて恥ずかしそうな視線を悟浄に向けてきた。そんな顔されても、俺がうれしいだけだっつーの、と胸中で呟きながら、悟浄はさらに八戒に催促するように口を開ける。
「……どうぞ」
 ようやく八戒から、つまようじに刺さったたこ焼きが差し出される。それをぱくりと一口で悟浄は食べた。満足げにぺろり、と己の唇を舐める。
「んー、ウマイ! やっぱ、八戒サンに食わせてもらうとサイコー」
「言ってて下さいよまったく…。あとは自分で食べて下さいね?」
 外でいかにもな行動をした自分が照れくさいのか、八戒はあいかわらず顔を赤くしたままだ。やんわりと悟浄に押し付けられたたこ焼きののったトレーを受け取り、今度はそのたこ焼きをひとつつまようじに突き刺して、八戒のほうへ差し出した。
「じゃ、今度は八戒の番な。ほら、口開けろよ」
 あーん、と言いながら八戒の口許へたこ焼きもっていく。そんな悟浄の露骨な行動に、八戒は首筋まで一気に赤らめた。
「あーんって、こんなところで貴方……っ」
「いーからいーから。ほれ、俺からのたこ焼き、食えねぇの?」
「……」
 八戒はじとり、と無言で恥ずかしそうに悟浄を睨めつけてきた。しかし、悟浄も一歩も引く気はなかったから、ますます笑みを深めて八戒を見つめ返す。なあ、と強請るように紅瞳を細めると、八戒の表情がゆるんだ。
 そして、悟浄に向けて、これ見よがしにため息をひとつ零す。
「一回だけ、ですよ……?」
「判ったから、これだけ、な?」
「ホントにもぅ」
 仕方ないですねぇ、とつぶやきながら、八戒はおずおずと悟浄が差し出すたこ焼きをひとつ、口に入れた。途端。
「――あつっ……ッ!」
 口にしたたこ焼きが八戒にとってはまだまだ熱かったのか、目に見えて辛そうに口許を押さえる。その姿に悟浄はあわてて彼の肩を抱いてその顔を覗き込んだ。
「おいっ、ダイジョーブか!?」
「………んっ、ぁ、熱……かった、ですね……。すみません……」
「ナンでお前が謝ンだよ。ワリ。お前が猫舌だっつーの、すっかり忘れてた……」
 熱いのを我慢しながら無理やり食べたせいか、八戒の眦にはほんの少しではあるが涙すら浮かんでいる。無理をさせてしまったことに焦る悟浄を安心させるように、八戒はそれでもほんわりと微笑んだ。
「もう大丈夫ですよ。ちょっと想像以上に熱くでびっくりしただけです。まぁ、少しだけ舌を火傷しちゃいましたけど」
 少しだけヒリヒリします、と心配げに見つめる悟浄に向かい、八戒は苦笑しながら言う。だが、舌が火傷したくらい熱かったのなら、全然大丈夫ではないだろう。気丈に微笑む八戒を制するように、悟浄はふと立ち止まった。いきなり歩を止めた悟浄にあわせて、八戒も立ち止まる。
「悟浄?」
「舌、見せてみ?」
「い、いいですよ、悟浄」
「いーから」
 つ、と、八戒のすべらかな頬に手を這わせると、目に見えて八戒の痩身がびくりと震えた。そんな彼を怖がらせないように、宥めるような笑みを悟浄は浮かべてみせる。
 八戒は諦めたように一息つくと、そっと悟浄の前に舌を見せた。
 確かに、舌先が他のところよりも赤く腫れているように、見える。そう思った、刹那。
「……ッ!」
 気がつけば、八戒の舌先をそろりと舐めていた。突然の悟浄の行動に、驚いた八戒があわてて舌を引っ込める。
「ご、ごじょ…うっ!」
「痛いトコって、舐めときゃ治るんだろ? だから、俺がオクスリつけてやったの」
「――」
 八戒の非難めいた、絶句した表情にも怯まず、悟浄はさらにニンマリと口の端を上げる。
「ちゃんとそっとしただろ…? それとも、もっとヤサシクしたほうが、よかった?」
「……貴方ってヒトはまったく……」
 八戒は呆れ混じりに嘆息すると、やれやれと肩をすくめつつ微苦笑を浮かべた。
「……これくらいでは治りませんよ、悟浄」
「へ?」
「せっかくなら、最後まできちんと責任を取ってくれますよね」
 にっこりと、八戒が婉然と微笑む。
 その笑みに惹かれるように、悟浄は思わず目を瞠った。だが、八戒の云わんとしていることに気づいて、くつりと愉しげに喉奥で笑った。そっと彼の耳朶に唇を寄せ、甘いささやきを落とす。
「モチロン。痛いトコ、しっかり治さなきゃ、な」
「でも、ここではイヤ、ですよ?」
 悟浄のあまやかな吐息に煽られるように八戒は肩を震わせながら、それでも後で、と釘を刺すことを忘れない。
「そりゃあもう、後で、ゆっくり、ヤサシク、な」
「お手柔らかにお願いしますね」
 二人は至近距離で顔を見合わせると、くすりと、共犯者の笑みを浮かべ合う。
 お祭りを堪能した後の、今度は二人だけのやさしい時間を堪能するための。
 二人だけの約束を、確認し合うように。





「でも、もう少し、お祭りを見ていきましょうよ」
 夜はまだまだ長いんだし……、と、はにかむように微笑む八戒を見つめながら、悟浄は残りのたこ焼きを頬張った。そして、思案げに周囲を見渡す。
「そだな。後、祭りの定番でしてねぇのはナニよ?」
「ええと……、お面を買うことかな」
「……あ?」
「ほら、よくあるじゃないですか。キャラクターもののお面がいっぱい。あれを悟空と三蔵へのおみやげにしたらいいと思いません?」
「――――もしもし、八戒さーん……?」
 わくわくと実に面白そうに笑いながら足取りも軽くいろいろなキャラクターのお面が並ぶ屋台へ向かう八戒を、悟浄は絶句しながら見送った。だが、思いのほか楽しげな彼の様子に、自然と笑みが浮かんでくる。
「祭りに来て、ホントによかった、な…」
 彼とだから、楽しくて。彼とだから、うれしくて。
 そんなささやかな幸せのようなものを感じることが出来たのも、八戒だからだ。
 だから。
 もう少しだけ、二人で、祭りを楽しむためにも。
 悟浄は口許に笑みを刻むと、少し先を行く八戒に追いつくために歩を早めた。







FIN

2003年9月21日に開催された『BE THERE』にあわせて、5サークル(prunus/GANDHARA NETWORK/Night Fragrance/UNCIVILIZED REGION)合同企画「58円本」として発行されたもの。企画の共通テーマは「秋祭り」で、各自がそれぞれ異なる担当シーンを書いていて、私の担当は「たこ焼き」でした。2003年夏コミの時の思いつきから生まれた企画で、ホンマに58円で販売しました。お釣りが大変でしたw

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