Strawberry kiss kiss




 それまで何をするとはなしにリビングのソファでだらだらと寛いでいた悟浄の視界を、ふと八戒の姿がかすめていったのに、悟浄はゆっくりとその影を紅瞳で追った。
 見れば、乾いたらしい洗濯物を抱えた八戒が、自室のほうへと消えて行く。もうそんな時間かと、悟浄が食器棚の上に置かれた小さな時計へと視線をめぐらすと、その針はもう夕刻といっても差し支えない時間を指し示していた。
 途端、空腹を覚える正直な自分の腹に、悟浄は思わず顔をしかめた。なんだか、こんな条件反射は全身胃袋ではないかと思われる件の少年のようで、悟浄はなんとなくいっしょにされたくねェと、小さく舌打ちする。
「悟浄、今日は夕御飯、どうしますか?」
 ひと抱えあった洗濯物を片してきたのか、八戒は身ひとつでリビングへと戻ってきた。リビングと一間続きの台所へと向かう途中で、いつものように悟浄へ涼やかな声をかけてくる。悟浄はソファに体を預けたまま、首だけ彼のほうへと向けた。
「んー、ウチで食う」
「判りました。これから準備しますね」
 ふわりと口元を緩めながら、八戒が綺麗に微笑む。その笑みにひかれるように、悟浄の視線がふと八戒の口元にとどまった。
(そういえば、八戒の唇ってなぜか、)
 めちゃめちゃ甘いんだよなあ、と、悟浄は意味深な笑みを浮かべた。八戒といわゆる、世間一般で言うところのコイビト同士なる関係に落ち着いてから、それこそ数えきれないくらいあの唇に口づけたが、とにかくキスをするたびに悟浄は思うのだ。
 ナンで、彼の唇――いや、それだけじゃなくて、その舌も唾液すら、こんなにも甘く感じるのだろう?
 八戒と出会うまで、いや出会った後も、おさまるトコロにおさまるまではそれこそ幾多の女だちと戯れにキスをくり返してきたが、その唇を甘いと思ったことなど一度もなかった。なのに、八戒の唇だけは、こんなにも甘い。甘いだけでなく、痺れるような酩酊感すら覚える。
 だから、もっともっと、と思う。もっと深く求めて、そのうち口づけだけではあき足らず、彼のすべてを求めてしまうのだが。
「悟浄?」
 ただじっと八戒の口元を凝視し続ける悟浄をいぶかしく思ったのか、八戒から怪訝そうに声を掛けられ、悟浄はようやく我に返った。
 こうやって、彼の唇の甘さを思い出したら、なんだか無性に――。
(キス、してぇな)
 あの、甘い唇に。
 悟浄はニヤリと口の端を上げると、ちょいちょいと無言で八戒を手招きした。突然の悟浄の表情の変化に、八戒の翠瞳が一瞬いぶかしげに揺れる。だが、それでもソファに腰掛けたままの悟浄のそばまでゆっくりとやって来た。そうして、腕を伸ばせば簡単に彼を捕えられる距離まで八戒が近づいた刹那。
「!」
 悟浄はさらに色悪な笑みを深めて、八戒の両腕を取るとそのまま自分のほうへと引き寄せた。バランスを崩して悟浄の腕の中に倒れ込んでくる八戒の細い顎をすばやく右手で捉えて、肉薄の唇に自分のそれを押し当てた。
 すぐに彼の甘さを堪能したくて、その勢いのまま舌を差し入れる。そして、彼のものに絡めて、その甘い舌をきつく吸い上げた。
 いきなりの悟浄から仕掛けられた口づけに、八戒は一瞬驚いたのかびくんと肩を大きく揺らしはしたものの、すぐに躯の力を抜いて悟浄の動きにあわせてきた。互いの舌を思うまま絡め合って。甘い口腔内を存分に味わう。深まる口づけに、どちらのものともつかない唾液が、八戒の口角から溢れてその顎をつたった。それすらも逃さないと、悟浄はいったん接吻を解くと、ことさらゆっくりと、その輪郭にあわせてつたい落ちたものまで舐め上げた。
 八戒の口から漏れた甘い吐息に満足して、悟浄はじっと八戒の顔を見つめた。激しい口づけの余韻に胸で大きく息をしながら、八戒の唇が艶かしく薄く開いて悟浄を誘う。その、どこかあえかな彼の表情に、悟浄は思わずごくりと喉を鳴らした。
(あ、ヤバいかも)
 このまま押し倒してぇ、と思った刹那、八戒の両手が悟浄の両頬を左右に広げるように、容赦なく引っ張った。
「いでェ――!」
「痛いように引っ張っているんだから、当たり前です」
 八戒はにっこり笑いながら、ついでとばかりに悟浄の薄い頬肉まで抓り上げ、それでようやく満足したのか悟浄の頬から手を離した。わざと少しだけ悟浄から離れて距離を置く八戒をキッと上目遣いで睨みながら、悟浄は痛そうに自分の頬を擦った。
「この男前にナニしやがるっ!」
「まだ明るいうちから、あんなコトをするからですよ。まったく」
 八戒の呆れまじりの言葉に、悟浄は仕方ねェじゃん、と唇を尖らせた。
 これもすべて、八戒の唇が甘いからなのに。それをちょっと、今すぐいただきたいと思っただけなのだ。
 悟浄はじっと、再度八戒を下から見据えた。
「だってよ、お前の唇、すっげぇ甘いんだよ。だからさ」
「……はい?」
 悟浄の拗ねたような口調に、八戒が何を言っているのかと、きょとんと小首を傾げた。男のくせに、ナンでこんなしぐさが似合うんだよ…と、悟浄は内心ため息を漏らす。
「なあ、ナンでだ? お前だけなんだよ。甘いと思えンのは」
 悟浄の問いかけに、八戒は大きく目を見開いた。が、すぐにふうわりと嬉しそうに破顔した。そこで、どうして八戒が本当に嬉しそうに微笑んだのか、悟浄には解らなかった。だから、今度は悟浄のほうが、胡乱げに目を細めて八戒を見つめ返す。
「八戒?」
 八戒がやわらかい笑みを浮かべながら、再び悟浄のそばへと近づいた。悟浄の身体の脇のソファの上に、そろりと左膝を置いてそっと身を屈め、八戒は悟浄の両頬を掬い上げるように手を添える。
「そんな寝ぼけたコトを言うひとには、解るまでくり返し学習が必要ですね」
 くすくすと、穏やかな笑みを零して、八戒はこつんと自分の額を悟浄のそれに合わせてきた。めずらしい彼からの甘えのしぐさに、悟浄もニッと笑みを形づくると、その細い腰をぐいと引き寄せる。すると、八戒の躯が、悟浄と向かい合う形で、悟浄の足の上に乗り上がった。ぴたりと、二人の躯が密着する。
「ナンの?」
「コレに、」
 そして、八戒から悟浄の唇についばむような軽いキスが落とされる。
「決まってるじゃないですか」
 そう言って、八戒は目元をほころばせながら、やさしい笑顔で悟浄を見つめた。上等じゃん、と悟浄も色気のある表情を浮かべて、お返しとばかりに八戒に口づける。
「なあ、お前の甘ぇトコって、唇だけじゃないんだけど?」
 悟浄は八戒の顔中いたるところにキスの雨を降らせながら、誘いをかけるように八戒の耳元でささやいた。途端、震える八戒の躯に気を良くして、悟浄は彼の左耳のカフスにねっとりと舌を這わせる。
「そう、……なんですか……?」
 ここまではっきりと仕掛けても、八戒からの拒絶がないことに、悟浄はさらに口の端を軽く上げて笑みを深めた。
 こんなふうに求めればちゃんと、八戒が、悟浄のキスを受け止めてくれることが嬉しい。
 そして、こんなふうに、ちゃんと八戒が悟浄を受け入れてくれることが嬉しい。
 だから、もっと彼の甘さが、彼のすべてが欲しくて、悟浄は口元に笑みを浮かべながら、八戒の緑の双眸を覗き込むように視線を合わせた。視線で、彼を絡め取るように。
「そ。だから、解るまで八戒の甘いトコ全部に、キスしていい?」
 悟浄の確信犯なおねだりに、八戒は「仕方がないですねぇ」と困ったようにつぶやくと、そっと悟浄の唇にもう一度キスを落とした。そして、悟浄の頬に添えられていた手を、彼の肩へとまわす。
「その甘いトコ全部、ってどこなんですか」
「それはキスしたトコが答えってコトでどうよ?」
「もう、……本当に、仕方のないひとですね」
 悟浄の言葉の真意を判った上で、八戒は苦笑めいた微笑を零し、そっと瞳を閉じた。それを了解の合図と解釈して、悟浄は、まずは八戒の甘い唇に己のそれを重ねる。
 悟浄にとって、甘いところは彼の唇だけではなくて、八戒すべて。だから、その甘さの理由を知るために、八戒のすべてにキスを。何度も何度も、解るまでくり返し。

 でも、甘さのワケが解ったって、やめる気なんてさらさらねぇけどな。

 悟浄はたのしげに胸中でそうつぶやき、さらに口づけを深めた。
 もっともっと、甘い甘い八戒自身を全部堪能するために。
 そして、悟浄だけが堪能するのではなく、八戒と二人で、気持ちよくなるために。








FIN

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