ロマンティスト




 夕方前に宿へ到着後、時間の関係で買出しはひとりだけ別行動を取っていた悟浄が両腕に紙袋を抱えて宿に戻った途端、その店先でじっとしている八戒の姿を視界に捉えた。
 意外な光景に、思わず目を瞠る。
 入り口のロビーというにはいささか狭いフロアの一角にある棚上に、小さな水槽が置かれていた。見事なまでに赤くて立派な金魚一匹と、見慣れぬ灰色の小さな物体一匹の計二匹が、水中をゆらゆらと並んで泳いでいる。
 その水槽を、まるでへばり付くようにして凝視している八戒。
 いったい何をそんなに真剣な顔で見つめているのか。――しかも、金魚と灰色の物体しかいないのに。
 悟浄は小さく嘆息した。八戒のこういうところは相変わらず意味不明だと思いつつ、そっと近づいて背後から声を掛ける。
「ナニ見てンの?」
「――うわぁ、びっくりしたぁ」
 悟浄が声を掛けるまで、まったく周りが見えていなかったらしい。八戒はびくりと肩を震わせて、彼らしからぬ驚きの声をあげた。
 そして、ゆっくりと悟浄のほうへと振り返る。
「ああ、お帰りなさい。思ったよりも遅かったですね」
「煙草屋、全然ねえんだもん。探すだけで時間食っちまったぜ」
 悟浄の買出し担当は煙草と燃料類だったのだが、割合小規模な集落であるこの町にはなかなかそれらしいものを取り扱う店が見つからなかった。それで、食材と雑貨担当だった八戒と悟空よりも時間が掛かってしまったらしい。
 先に買出しを終え、八戒はその後ずっとここにいたのだろうか。彼の背後から覗き込むような姿勢で、悟浄は怪訝な目付きで眉宇を寄せた。
「で? お前はここでナニしてんだ?」
「何って、……見ての通りですけど」
「えーっと。……見ての通りは判るから、ナンでこの水槽を見てるのかなーって……」
 すっとぼけた返事をしてきた八戒に思い切り脱力しつつ、悟浄はそれでもめげずに訊き返した。くすりと、八戒の口許がかすかに緩んだ。
「あぁ、何って……それこそ見ての通り、金魚を見ていたんですけどね」
「……そぉね……」
 いやだから、俺が知りたいのはナンで金魚をそんなに真剣に見ていたのかっていうトコロなんだけど。と、悟浄は心の中だけで言葉を続けたが、当たり前だが八戒には届かなかった。八戒はなおも穏やかに微笑みながら、いとおしげに水槽の中の金魚へとそっと視線を向ける。そんな彼の視線を、悟浄は無言で追った。
「その荷物を部屋に置きに行きましょうか。重いでしょう、それ」
 八戒からの提案に、悟浄はふと我に返る。一瞬ではあるが、意識が八戒の目線の先に飛んでいた。それをごまかすように少しだけ紅眼を眇めると、悟浄は口の端を軽くあげる。
「そだな。いい加減、腕が疲れたっつーの」
「お疲れ様です。部屋に戻ったら一服しましょうか」
「賛成ー。じゃあさっさとあがろうぜー」
 今晩の宿は久々に八戒とふたり部屋だから、部屋に戻っても余計なふたりの顔を見なくても済む分、自然と悟浄の足取りも軽くなる。
 それに、いつまでも両手に荷物を抱えたままで、しかも宿の店先で不毛な会話を続けるよりは、部屋に戻ってふたりきりになってから再び話を振ったほうがいいだろう。悟浄は胸中でこっそりため息をつきながら、八戒とともに宿泊部屋へと足を伸ばした。




「――で? あの金魚、ナンかあンの?」
 恒例となりつつある四人揃っての騒々しい夕食も終えて、それぞれが宛がわれた部屋に向かった。そして、悟浄もまた八戒と共に部屋へと戻り、窓際にあるベッドへと腰掛けてからおもむろに口を開いた。
 八戒はというと、夕食前に一服と称してコーヒーを淹れたその後片付けを始めたところだった。机の上を慣れた手付きで片しながら、八戒は顔だけを悟浄の方へと向ける。
「金魚って、あの宿の水槽にいた金魚のことですか?」
「他にナニがあるっつーのよ」
「まあ確かに」
 ひと通り片付けて、八戒はゆっくりと、悟浄が腰掛けていないほうのベッドの端に座った。ちらりと悟浄を流し見て、ふわりと微笑む。
「僕、あんな立派な金魚、初めて見たんですよ。あれは観賞用ですよね。ひらひらーっとしてゴージャスで、しかも綺麗な赤で」
 さらに意味深な笑みをその口許に刷いて、八戒は悟浄を見つめる。
「なんだか悟浄みたいだなあ、って思ってたら、よくよく見ると小さなおたまじゃくしが一匹いて、しかもその金魚がすごく気にしているふうなんですよ。その、なんとも不思議な取り合わせがまたおかしくて、それでついつい見入っちゃったんですよねえ」
「……ふぅん」
 悟浄は気のない返事をした後、ふと八戒の言葉を脳裏に反芻した。そこでようやく不思議な状況に気づいて、思わず軽く瞠目する。
「って、ちょっと待て。あのちっせぇ灰色の物体はおたまじゃくしだったのか」
「ええ、そうですよ」
「ナンでそんなモンが金魚と同じトコにいんだ?」
 それは当然の疑問といえた。普通、店先の水槽とかに、おたまじゃくしをいれて飼ったりはしないだろう。しかも、非常に立派な金魚と一緒にしてまで。
 八戒はくすくすと笑みを零しながら、軽く目を細めた。
「なんでも、ご主人のお子さんが捕まえてきたそうですよ。どうしても水槽にいれたいと懇願されたら、嫌とは言えなかったらしくて」
「なーるほど……」
 あの珍妙な組み合わせが親馬鹿の結果と言われれば、それはそれで納得だった。悟浄はこっそりと息を吐いて、いいことを思いついたとばかりに軽く口の端をあげた。
「あの金魚が俺ならさ。じゃあ、あのおたまじゃくしはさしずめ八戒ってトコ?」
「……また唐突ですねぇ。いったいアレのどこが僕なんです?」
「金魚が気にしてるって言ってたし、蛙になったら緑色だしなーって思っただけなんだけど」
 言い掛けて、ふと目の前の彼を取り巻く雰囲気が変わったことに気づいて、悟浄はいぶかしげに八戒を見た。
 見れば、八戒は笑っていた。その口許に、なんとも言い難い複雑な笑みを浮かべながら、ひっそりと笑っていた。悟浄はじっと、そんな彼を窺うように見据える。
「おたまじゃくしは嫌ですよ。金魚が悟浄なら、なおさら」
「どうして」
「蛙になったら、絶対に離れ離れになってしまうでしょう。両生類は、成長してしまったら水中では生きられないんですよ」
 だから嫌ですと、まるで金魚が悟浄であると完全に決め付けて結論づけてしまう八戒を、悟浄は茫然と見つめ返した。
 ある意味、なんとも熱烈な愛の告白に聞こえるのは、悟浄の気のせいなのか。
 悟浄は惚けたように八戒を見ていた。だが、ふいに胸裏を過ぎったある思いを、そのまま口にしてみる。
「……でもさ。俺らだっていつかは離れ離れになるじゃん。それが早いか遅いかの違いじゃねえ?」
「悟浄」
 八戒は神妙な面持ちのまま、一瞬だけ翠眼を見開いた。
「それは、――物理的なものを指して、ですか? それとも……気持ちのほう、」
「そんなん物理的なのに決まってるだろ」
 さすがに最後まで聞いていられなくて、悟浄はわざと彼の言葉尻を奪うように言い切った。すると、八戒は静かに立ち上がった。そのまま悟浄の前までやって来て、そっと身を屈める。
 気がつけば眼前に、ひどく整った相貌の、いとしい男の顔があった。黙って八戒の動向を追っているうちに、彼の唇がそっと、悟浄のそれに触れた。
 一瞬だけ重なった接吻は、すぐに離れる。
 八戒はうすく微笑んだまま、右膝をベッドの上 ―悟浄の体の左脇へと乗せた。そして、上から見下ろすかたちで悟浄をじっと見つめる。
「……僕は御免ですよ。目の前にいるのに、こうして――貴方と触れ合えないなんて」
 そう言いつつ、八戒はさらに悟浄の頬へと右手を伸ばしてきた。そろそろと、細くて綺麗な指が、顎のラインをたどる。
 まるで悟浄の存在を確かめるように。
 ゆっくりと、――己で感じるように。
 ふいに、悟浄は、彼のその手を自らの掌で握り込んだ。びくりと、眼前の痩身が震える。それにはかまわず、八戒の掌を己の口許へと運んで、その甲に恭しい仕種で口づけた。
「……っ」
「こうやって? 直接触れたいって?」
 わざと熱を煽るように、今度はその指を口腔内に迎え入れながら、悟浄は上目遣いでささやいた。唇越しに、八戒の身体がさらに揺れたのが伝わってきて、思わず愉しげに微笑む。
「そぅ…ですよ。手を伸ばせば届く距離にいるのに触れられないなんて、……僕には我慢出来ませんから」
 強欲ですからね、と自嘲ぎみに微笑む彼が見ていられなくて、悟浄は己の唇から八戒の指を離し、その捉えていた手を自分のほうへと強く引き寄せた。勢いづいて己の懐へと倒れ込んできた男の細躯を、ぎゅうときつく抱き締める。
「――それは俺も同じだし」
「……悟、浄」
「だからさ、……今はこーして」
 目の前にいるお前に触れたい。
 その耳奥へと、低い息声でささやきかければ、腕の中の八戒もまたきつくしがみついてきた。
「えぇ……、僕も」
 こうして、貴方を。
 そうつぶやきながら、そっと唇を寄せてきた彼のそれを、悟浄は後頭部に大きな掌を回して自らのほうへと強く引き寄せ、いきなり深々と奪った。
 ぴくりと、八戒の痩躯が跳ねる。
 吐息すら奪い尽くすように、そのすべてを貪るように、悟浄は思うまま八戒へと口づける。それに応えるように、彼もまた悟浄の肩へと回した腕に力を込める。
 激しくなるキスに酔いしれるよう、夢中で口づけを交し合う。
 ――離さない、と。
 言葉にならない想いを、触れ合う肌と肌で伝え合うために。




 性急に求め合って。
 湧き上がる熱を押し付けるように、腰と腰を絡め合って。
 さらに、それでも足りないと云わんばかりに、脚と脚をも絡め合う。
「……ぁ、……あ、悟浄……っ」
 体内を蹂躙し続ける男の下で悶えながら、それでも悟浄を求めて唇を寄せてくる八戒のそれを、悟浄は腰の律動を止めないまま塞いだ。途端に絡まる舌と舌が、淫靡な濡れ音を奏でる。いやらしいその響きに、全身の血が滾るほどに煽られる。
 下肢からも響く卑猥な水音と、互いの忙しない呼吸音、そしてベッドの鈍い軋み音。それらが暗い室内にこもる。その音にすら煽られ、快楽という名の熱がどんどんと高まる中、ひたすらにいだき合う。
「八戒、―― すげぇ、イイ……ッ」
 彼だからこそ、――そう、ふたりだからこそ感じる愉悦に、悟浄は荒い息を吐きながら八戒の耳許にそっとささやく。その声にすらひどく感じるのか、八戒はびくびくと四肢を震わせながら、悟浄の背にさらなる爪痕を増やした。
「は……ぁっ、あ、……ヤッ」
 もっと、とすっかり濡れまくった肌を摺り寄せてくる八戒の体躯を、悟浄は己の猛りでもって深々と貫いた。
 彼に感じて欲しくて。彼をもっと感じたくて。
 もっと深く、もっと奥まで。
 容赦なく、八戒へと向かう想いの深さのまま、激しく突き抉る。
「あ! ごじょ、もう……ごじょぅ……っ!」
 そろそろ限界が近い痩身が、あわれなほど小刻みに痙攣した。感極まったように甘い悲鳴をあげて、それでも必死に悟浄へとしがみついてくる。少しでも離れてはいられないとばかりに、しなやかな双腕を悟浄へと力一杯引き寄せて。突き上げる悟浄と同じリズムで柳腰を揺らしている。
 いとおしすぎて、眩暈がするほどだ。
 悟浄は込み上げる喜悦を噛み締めながら、最後の瞬間を目指して、ひときわ強く、そして激しく彼を蹂躙し続けた。
 激しく過ぎるそれに、八戒の脚が離されまいというように悟浄の腰にきつく巻きつく。
「……イッてよ、八戒……ッ」
「もっ……、ダメ、――ああっ」
 濡れた朱唇から零れるあまやかな嬌声すら余さず、己の唇ですべて奪いながら。
 極みへと昇りつめるために、ふたりで身体と――そして心を絡め合った。
 ふたりで触れ合うからこそたどりつくことのできる、快楽の頂点を極めたくて。
 ただ、ひたすらに――抱き締め合った。




 ひとしきり互いを貪り合って、そのままふたりで一つのベッドに横たわったまま熱情が過ぎ去るのを待つ。
 ようやく呼吸がおさまってきたところで、ふいに悟浄の右横で仰向けに横たわる八戒がしみじみとつぶやいた。
「……まったく、金魚と蛙に煽られるなんて、僕たちってホントに馬鹿みたいですよねぇ……」
 そういえば、ここまで燃え上がったきっかけは、よく考えれば店先にいた金魚と蛙について話をしていたことだったか。確かに、あまりない発端ではあるだろうけれど。
「いいじゃん、別に」
 くつくつと咽喉を鳴らしながら、悟浄は笑った。
 八戒がどれだけ自分のことを想ってくれているのか、それを己の身をもって感じることが出来たのだ。それならいっそ、その二匹に感謝したいくらいだと思った。
「そうだな、……出来ればあの二匹も、何らかのカタチでずっと一緒にいられるといいな」
 仲良さそうに泳いでいた金魚とおたまじゃくし。
 今は一緒にいられても、確実に離れ離れの時がやって来る。けれども、彼らにも希望があればいいと、すっかり自分たちに重ね合わせて悟浄はぼんやりと思った。
 すると、一瞬妙な間があいた後、すぐさま八戒が身体を震わせて派手に笑い始めた。突然のそれに、悟浄はいぶかしげに隣りの彼へと身体を向ける。
「……って、オイ。どうしたんだよ」
「悟浄って、……案外、ロマンティストなんですよねえ……」
「……うるせぇよ」
 なんだか気恥ずかしい気分になって、悟浄はわずかに目許を紅く染めながら八戒を軽く睨んだ。それでも笑いが止まらないのか、八戒はさも楽しげにうすい肩を震わせている。
 悟浄の前だからこそ見せる、八戒の素の表情。
 それは嬉しいものの、さらに恥ずかしさが募る。なんだかいたたまれない気持ちになって、悟浄は拗ねたように口許を曲げながら八戒の両肩を押さえつけ、再び己の下に組み敷いた。
「――悟浄?」
「ロマンを愛する男はキライ?」
 悟浄の問い掛けに、眼下の八戒が目を丸くした。
 だがすぐに、花がほころぶような ――綺麗な笑みを惜しげもなく浮かべた。
「いいえ、むしろ――イイと思いますよ?」
 そう言いつつ、八戒の腕が悟浄の肩へと回る。そのまま首へと回り、しがみつくようにきつく絡みついた。至近距離まで互いの顔が寄せられて、そして。
「なら、さ」
 目の前にあるいとしい男の唇を軽く塞いで。
「……なんです……?」
 互いの唇をそっと食みながら、甘い息声で、八戒がささやく。ちゅっと、わざと濡れ音をたてて、悟浄はその薄紅色のかたちよい唇に吸いついた。そして、誘うように、再び情欲に染まった紅眼を細めてみせる。
「そんな俺サマ、もっと堪能したくない……?」
 すると、八戒は静かに微笑んだ。
 悟浄が思わず見惚れるほどに、艶やかな笑みをその白貌に浮かべて。
「ぜひ、堪能させてください……」
 心ゆくまで、ね。
 そう言って、悟浄へと強くしがみついてきた彼を、胸奥から溢れる想いのまま力一杯抱き締めた。




 たとえ、いつかは離れ離れになるとしても。
 手を伸ばせる今は、こうして――触れ合いたいから。
 だから、求め合って。
 だから、抱き締め合って。
 そのすべてを――感じ合って。


 触れ合いたい――その想いのままに、互いの手を伸ばして。







FIN

『金魚王子×蛙王子』参加作品。

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