Messiah




 いつもの通り、悟浄は遅めの朝食、八戒は早めの昼食を取り終えて食器を流しへと運んでいる時、ふいに八戒の視界をカレンダーが掠めた。
 玄関にほど近い壁にかけられた明らかに頂き物と思われるカレンダーを、八戒はいったん足を止めてじっと見据えた。
 そして、今日の日付を認識した途端、小さく目を瞠る。
 ここで悟浄とともに生活を始めてから数ヶ月たったが、どうも日付の感覚に疎くなっている自覚はあった。それは、八戒がいまだに、新たな名をいだいて生を歩むことや日々の生活の営みを享受しきれずにいるせいなのか。それとも、猪八戒としての過ぎ行く日々を、なるべく意識にとどめないようにしているからなのか。
 どちらにしても、今のところ、正確な日付を認識しなかったために困ったことは特にないから、あえて考えないようにしていた。けれど、さすがに今日が“そういう日”だと認識して、さらにはっきりと意識にとめてしまった以上、なかったことにも出来ないと、八戒は苦々しく思った。
 八戒は、食卓の椅子に腰掛けたままのんびりと食後の一服をしている悟浄に気づかれないよう、こっそりと嘆息した。そして、ゆっくりと彼のほうへと向き直る。
「悟浄」
「んー?」
 八戒の呼び掛けに、悟浄は特に振り返ることなく生返事を寄越しただけだった。
 八戒は軽く肩をすくめると、自ら彼のそばまで歩み寄る。
「今日のご予定は?」
 にっこりと笑顔で問い掛ければ、悟浄が銜え煙草のまま、そろそろと顔を上げた。わずかに片眼を眇めつつ、ちらりと八戒を見やる。
 八戒の含み笑いに何かを感じたのか、悟浄は居心地悪げに伸びかけの紅い前髪を掻きあげた。
「今日? ……んーと、特にねぇけど。ナンで?」
「本当に無いんですか? クリスマスなのに?」
 悟浄からの意外な答えに、八戒は思わず目を丸くした。
 そう、八戒がカレンダーで確認した本日の日付は、12月24日。つまりは世間一般で言うところのクリスマスイブである。
 悟浄のことだから、この日はなんらかの予定が入っていても全然おかしくはないと、そう思っての質問だった。けれど、悟浄は特にないと言う。それは普段の彼の交友関係からしても、意外という他なかった。
 八戒があまりにも判りやすく驚きの態度をあらわにしたことに、悟浄は口を尖らせた。
「なんだよ。そんなにヘン?」
「すみません。変とか言うより、……悟浄ならこの日は引く手数多かな、と勝手に思ってて」
 八戒は申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
 悟浄はいったん煙草を口から離すと、深々と紫煙を吐き出す。
「イヤ、いーけどよ別に。俺、クリスマスだから特別にどうこうっていうの、今まで特にしたこともねえし。それは今年も一緒。そんだけ」
 一息に言い切ると、悟浄は短くなった煙草の先を食卓上の灰皿に押し付けた。その動きをじっと目で追っていた八戒のほうへ、ふいに悟浄が面を向けてきた。
 突然のことに、八戒は知らず息を呑む。
「そーゆうお前はどうなのよ?」
「……はい?」
「だーかーらー。そこですっとぼけてんじゃねえよ。お前のほうこそ、今日の予定、ナンかねぇの?」
 彼から逆に問い返されて、八戒はますます瞠目した。
 そんな八戒の態度に、悟浄はいぶかしげに紅眼を細める。
「……悪ぃ。訊かないほうがよかった?」
 抑揚のない声音でつぶやきつつ、悟浄は再び愛飲している銘柄の煙草を口に銜えた。その動作をつぶさに見つめながら、八戒はようやく肩から力を抜くように息を吐く。どうやら無意識のうちに、またもや息を詰めていたらしかった。
「いいえ。そんなことはないですよ。――突然ですけど、悟浄。この町に教会はあるんでしょうか」
「……教会ぃ?」
 悟浄にしてみれば、唐突とも取れる内容の問い掛けに、露骨に眉宇をしかめた。思わず、といった風情で口許から煙草が落ち掛ける。
「ええ。…もしかして、教会がどんなものかご存知なかったりします?」
 仏の存在が絶対視されている桃源郷において、基督(キリスト)教の存在を知らない者がいても何ら不思議ではない。だから、悟浄が教会が何たるものかを知らないと言われても、確かに不思議ではないのだ。
 悟浄の反応に、八戒は微苦笑を浮かべた。すると、悟浄は軽く舌打ちして、上目遣いで八戒を見上げる。
「いくら俺でも教会ぐらい知ってるって。アレだろ、屋根のてっぺんに十字架が乗っかってる他所モノ風の建物」
「それは失礼しました。そうですね、だいたいそんな感じですかね」
「あるにはあるぜ。教会とやら」
 悟浄はいったん言葉を区切ると、八戒の瞳奥を窺うように見つめてきた。
「……俺があんなふうに言ったのは、ここでナンでいきなり“教会”とか言い出すんかなお前は、ってコト」
 悟浄の紅の双眸を、八戒は無言で見つめ返した。
 立ったままの姿勢で静かに彼を見下ろす。
 先に視線を外したのは悟浄のほうだった。ため息まじりに眼を逸らすと、苛立たしげに煙草を銜え直す。
「で? 教会がナニ?」
 苛々とした口調。そんな彼を、八戒はただ苦笑しながら見つめることしか出来なかった。
 そして、おもむろに彼のそばから離れ、台所へと向かう。とはいえ、食卓から流しまではほんのわずかしか離れてはいない。悟浄の苛立つ気配くらいは十分に感じ取れるほどの距離だ。
「せっかくのクリスマスですし、久しぶりに教会に行って懺悔でもしようかと」
 流しの前に立ち、八戒は水道の蛇口をひねった。慣れた手付きで皿を洗い始める。
「……クリスマスって、お前にとっては懺悔をする日なのか?」
 背中越しに聞こえる悟浄の声音が硬い。
 八戒は彼のほうを振り向くことなく、手元の作業を続けた。
「いいえ。そういうわけではないんですけど。前にも話した通り、僕はずっと基督教系の孤児院や学院にいましたから、クリスマスは強制的にミサに参加させられていました。せっかく馴染みがあることだし、今年は告解でもしようかと思ったんですよ」
 くつり、と八戒は自嘲ぎみに笑った。
 悟浄に気づかれないよう、くつくつと喉を軽く震わせてあからさまな嘲笑を口許に刻む。
「告解?」
「ああ、つまりは罪を告白して、自分の犯した罪をキリストの十字架と復活という業によって神様に赦していただく――判りやすく言えば懺悔ですね。今晩はキリストの生まれた日だし、ちょうどいいかな、と」
 悟浄のあからさまに深いため息が聞こえる。
「……全然ワケ判んねえけど。クリスマスは恋人どーしがいちゃいちゃしたり、仲間どーしでケーキ食ったりして楽しく騒ぐ日じゃねえの?」
「本当は違いますよ。いつのまにか、そう誤解していらっしゃる方はたくさんいますけれど」
 貴方もそのひとりのようですね、と、ほんの少し口許を緩めれば、悟浄はばつが悪げに舌打ちした。
「うるせぇよ。なら、八戒、“そーゆうクリスマス”って過ごしたコトねえんだ?」
「そういえばそうですねぇ……」
 八戒にとって ――正確には悟能にとってだが――クリスマスとは、信じてもいない神の生誕を祝うミサに参加させられる苦痛の日でしかなかった。だから、悟浄が言うところの一般的なクリスマスという行事など、当然経験したことはない。
 ひと通り食器を洗い終えた八戒は、機械的な動作で水道の蛇口を止めた。そのまま振り返ると、いつのまにか悟浄が八戒の背後に立っていた。まったく彼の気配に気づいてなかった八戒は、突然のことに大きく痩身を震わせる。
「う、わ!」
「お前、バック取るの結構カンタン?」
 気づけよ、と悟浄はどこか愉しげに喉を鳴らした。そして、にやにやと唇端をつり上げる。
「そんならさ、今年は“そーゆークリスマス”ってのにしねぇ?」
「……そーゆークリスマス、ですか?」
 悟浄の意図がよく解らない。
 八戒は呆然とした面持ちで、己の正面に立つ悟浄を見つめた。
「どうしても教会に行きたいなら止めねえけど。いや、その後でいいからさ。俺と美味しいクリスマスってのはど?」
 ふたりでなんか美味いモン食いながら、さ。
 さらに笑みを深める悟浄に、八戒は大きく眼を瞠った。
 彼の提案を脳裏に反芻すると、胸が締め付けられるような心地がした。それは切ない痛みだった。胸奥がどうしようもなく切なく沁みゆくような、言葉に出来ない感情で溢れるような心地。
 その痛みに似た何かに絶え入るよう、八戒はほんの一瞬、眼を伏せながら目蓋を閉じた。だが、すぐに顔を上げてふうわりと微笑む。眼前の彼に向けて、やわらかな微笑みを。
「そうですね。……そうしましょうか」
 八戒の返答を聞いた途端、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべた悟浄の表情が、一瞬だけ苦笑めいたものに見えたけれど。
 ――それにはわざと、気づかないふりをした。




 ギシリ、と、重く鈍い音が夜の闇に響く。
 八戒はゆっくりと重厚な木造りの扉を開けた。すると、礼拝堂ではすでにミサが行われている最中だった。
 礼拝堂内は、そのほとんどが信者が座る木造の長いテーブルと椅子で占められていた。それらは前から後ろまで等間隔に並べられている。そして、礼拝堂の前側に少しだけ高く作られた段差のある壇上の中央に説教台が置かれ、そこに黒服に身を包んだ壮年の神父が立っていた。右手に聖書を持ち、その朗読をしているようだ。
 人工の灯りはすべて落とされていて、長いテーブルにいくつか置かれた蝋燭の灯りと、説教台に立つ神父の前にともされた蝋燭の灯りのみが、ほの暗い室内をうっすらと照らし出すだけ。
 それなりに広い礼拝堂内に、信者たちがぽつぽつと点在して、木作りの長テーブルの前に置かれた木製の椅子にそれぞれ腰掛けていた。人の数自体はそれほど多くはない。けれど、信者らしき人たちは全員、白いレースのヴェールを頭からすっぽりと被り、瞳を閉じて両手を組み膝の上に置いていた。
 それは熱心に祈りを捧げる姿そのもの。神父の滔々とした口調で綴られる説法に耳を傾けながら、神の御前でその生誕を心から祈っているその姿を、八戒はどこか醒めた眼で見つめながら、静かに最後列の席に腰掛けた。
 礼拝堂内にいる誰もが八戒の来訪に気づいていないのか、振り返る者はひとりもいない。
 入り口に向かって立つ神父ですら、八戒を気にもとめていないようで、何事もなかったかのように説法を続けている。
 八戒は、無言で前方を見据えた。
 結局、八戒は夜になるのを待って、悟浄とともに町の外れに位置するこの小さな教会へと赴いた。この教会は、普段八戒の行動範囲――つまりは市場など――とは正反対に位置するため、それで今までその存在を知らずにいたらしかった。
 最初は、場所だけを悟浄に聞いて、ひとりで足を運ぶつもりだった。けれど、悟浄はどうしても一緒に行くと言ってきかなかった。そこでふたりでここまで来たのだが、しかし、教会内に入るのは嫌だと言った悟浄とは教会の入り口のところでいったん別れた。彼は近くの別の場所で時間を潰すつもりらしい。
 そして、今。
 八戒はたったひとりで、教会にいる。
 嫌々ながらこうしたミサに参加していた頃、よもや自分がこうして自らの意思で教会に足を向けようとは思ってもいなかった。
 あの頃と比べて、今の自分は――ものすごく遠くへ来てしまったような気がする。
 八戒は、神父が立つ壇上のさらに奥に飾られているキリスト像へと眼を向けた。
 大理石で作られているように見えるそれなりに立派な祭壇の上に、十字架に貼り付けられた痛ましい姿のキリスト像があった。今宵はこのキリストが生まれた日。そして、ここにいる人々は彼の生誕を祝福するために集い、祈りを捧げている。
 キリストという名の神の子に、救いを求めて。
 そんな信者たちの敬虔かつ盲信的な姿を、八戒はなんとも言いがたい心境でじっと見つめることしか出来なかった。
 ――神はだれも救わない。
 それは八戒が一番よく解っていた。本当に神の救いが欲しいときに、神は何ひとつ八戒――いや悟能に救いをもたらしてはくれなかった。ただ、贖いきれないほどの重すぎる罪だけを背負わせただけだ。
 そして今、己は、仏の慈悲によって生かされている。
 眼前に掲げられた神ではない、別の神によって生かされている自分。
 ならば、“ここにいる神”は何なのだろう?
 くつくつと、八戒は知らず嗤っていた。低く喉を震わせながら嗤っていた。
 それを実感するためにわざわざ教会まで足を運び、わざわざ救い主と称されるキリストの生誕を祈るミサに参加しに来るなど、大概自虐的だと八戒は思う。
 下手に告解するよりも、もっと性質が悪い。
 八戒は嫌な嗤いをくり返した。そして、ミサ自体に何の感慨も覚えぬまま、八戒は再びキリスト像を凝視する。

 ……本当に救ってくれるのは神ではない。
 たとえば。
 口は乱暴だが、どこまでもお節介焼きな、孤高の金の最高僧とか。

 八戒はすぅ、と深く深呼吸をした。ゆっくりと息を吐き出して、おもむろに立ち上がる。ミサはまだ途中だが、もうここに居続ける気はまったくなかった。
 静かにその場を立ち去り、来た時と同じように八戒は重い木造りの扉を開けて、無言で礼拝堂から出て行く。

 ……たとえば。
 その最高僧の傍らにある、どこまでも屈託のない、太陽のような黄金の少年とか。

「終わったのか?」
 ふいに八戒の視界に飛び込んでくる、暗闇の中でも鮮烈な紅。
 八戒は一拍の間、茫然と彼を見つめた。ここにいるはずがない、と思っていた目の前の彼が、悟浄だと認識した刹那、ゆっくりと唇が綺麗に弧を描いた。それはまるで消え入りそうなほどに透明な笑みだった。

 ――たとえば。
 八戒をこの世に繋ぎ止める、真紅を纏う、どこまでも哀しいくらいにやさしい男とか。

「……まさか、ここで待っていたんですか?」
 この教会は、古びた商店街の外れに位置している。だから、てっきり八戒が教会にいる間、悟浄は近くにあるどこかの店で時間を潰しているのだと思っていた。
 けれども、教会を取り囲んでいるブロック塀の、入り口のところに凭れかかって立っていた彼の足許には、どう考えてもここに結構な時間いたとおぼしき数の煙草の吸殻が数本落ちていた。
 おそらく。悟浄はここでずっと待っていたのだ。
 この寒い中、ただ……八戒を。
 つ、と、胸が突かれる心地がした。
 驚きの表情で見つめる八戒を、悟浄は困ったように笑いながら見つめ返した。八戒がそばまでやって来たところで、それまで凭れていた塀から長身を離し、まっすぐに立つ。
「終わったんなら帰ろ?」
 悟浄は八戒の問いに答えることなく、にこりと笑った。
 その笑顔を目の当たりにして、八戒はますます胸裏を込み上げてくる“何か”を堪えるために、唇を噛み締めた。
 泣きたいわけではないのに、泣き出しそうだと思った。
 その顔を悟浄に見られたくなくて、ふいに翠の双眸を伏せた。ぽんと、悟浄の手が八戒の頭に乗せられる。
「どうした、八戒?」
 ――そう、八戒を救ってくれたのは、この存在。
 金の最高僧と、黄金の少年と、真紅を纏う男。彼らの存在が、今の八戒の救い。八戒を本当に救ってくれる唯一無二の存在。
 そして、誰よりも、何よりも、今の八戒の最大の救いがこの――。
「……悟浄」
 悟浄の手が頭に置かれたままの状態で、八戒はおもむろに伏せていた顔を上げた。滑り落ちかけた彼の掌を瞬時に右手で掴む。
「手、すごく冷たいじゃないですか」
 剥き出しのままの悟浄の手は、随分と冷たかった。これも寒空の下、外でずっと八戒を待っていたからだと思うと、胸が痛んだ。
 悟浄は捉えられていた八戒の手から、するりと己の手を抜き取ると、ひらひらと見せつけるように振って見せた。
「ああ。……ま、気にしなくても、俺サマ体温高いからすぐにあったかくなるって」
「かなり冷えてますよ、貴方の手」
 申し訳なさそうに、八戒は再び悟浄の左手を取った。体温の低い八戒の手よりもさらにひんやりとした感触に、覚えず眉宇を寄せる。
「それなら、さ」
 悟浄はにやり、と口の端を上げた。そして、八戒の右手にしっかりと自分の左手を絡めて、ぎゅっと握り締めた。
「悟、浄?」
「こーやって、手ぇ繋いでたらあったかくなんだろ?」
 だからこのまま帰ろ、と、臆面もなく口にした悟浄に向かい、八戒は思わず瞠目した。
 ――なんてことを不意打ちでするのだろう、彼は。
 触れ合った掌から、冷たいながらも悟浄のぬくもりを感じて、八戒は無言で翠眼を瞠った。何かを言いたいのに、喉からどうにも言葉が出なかった。
 そんな八戒の様子を怪訝に思ったのか、悟浄が少し首を傾げた。そして、じっと八戒を見つめる。
「ナニ、もしかして俺とこうすんの、ヤなワケ?」
「いえ。……そろそろ帰りましょうか」
 八戒は笑顔で煙に巻くと、悟浄と手を繋いだまま足を動かし始めた。さりげなくごまかした八戒に気づいてはいると思うが、悟浄は特にそのことを言及することなく、彼もまた歩き始める。
 ……判っているのだろうか、悟浄は。
 こんなふうに、手を差し伸べられるだけで。浅ましい自分は際限なくつけ上がるのだということを。今もこうして、手を繋いで並び歩いている、それだけでどうしようもなく縋りつきそうになるというのに。
 どこまでも自分勝手な己自身に、八戒は自嘲ぎみに口許を歪めた。


 ――どうか。


「なあ、帰ったら今度こそ美味いモン食って、クリスマスしよーなぁ?」
「美味しいものって…僕が作るんですよねぇ……」
 他愛の無い会話を交わしながら。八戒は胸中で、ひっそりとつぶやく。

 救い、というものが本当に存在するのならば。
 どうか。
 この――真紅を纏う、哀しいまでにやさしい男をどうか、僕から奪わないでください、と。
 それこそが、八戒にとっての救いなのだと。
 何かに祈るように、八戒はただくり返す。
 どうか――どうか。
 その時、思わず、八戒はきつく彼の掌を握り締めた。それに気づいた悟浄が、ふと窺うように八戒のほうを見る。
「八戒?」
「いえ、……なんでもないです。寒いですし、早く帰って……そうですね、鍋でもしましょうか」
「……クリスマスに鍋なのか?」
「いいじゃないですか、僕たちらしくて」
 くすくすと、八戒がおだやかに微笑む。
 それにつられたのか、悟浄もまた、楽しげな笑みを口許に刻んだ。
「よし! とっとと帰って鍋だ鍋!」
 クリスマス鍋ってどんなんだ、とつぶやく悟浄を横目で見ながら、八戒はひっそりと笑った。そして、ほんの一瞬、ちらりと肩越しに後ろを振り返る。
 ――もう教会は見えなくなっていた。
 それを瞬時に確認して、八戒はすぐに顔を前に向けた。そして、しっかりと前を見据える。
 悟浄とふたりで、帰途につくために。




 八戒にとっての“救い主”とともに。







FIN

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