HOPE




 ──そろそろ、だろうか。
 八戒はおもむろに胸元から懐中時計を取り出すと、目を細めて時刻を確認する。今晩は、深い森を抜ける途中で計らずも野宿となってしまったため、ジープの車内で男四人とも所定の位置で眠りにつくことになった。だから、この月明かりだけを頼りにするには、八戒の視力では手の中の時計の針ですらかなり見えにくかった。それでも、ぼんやりと浮かび上がる時計の針がもうすぐ12時を指そうとしていることを確認して、八戒はふと目元をほころばせる。
 もうすぐ。
 もうすぐ、悟浄の誕生日がやってくる。
 どうしてもその瞬間に、誰よりも早く「おめでとう」と、そして「ありがとう」を言うためだけに、こんな時間まで寝たふりをしつつ、実は八戒は起きていたのだった。いつ決着がつくともしれぬ長い旅の途中で、だんだんと日付の感覚が分かりにくくなってきているような現状に、ともすれば忘れてしまいそうになりつつも八戒は意識的にその日まで数えるようにしていた。今、自分たちが非日常的な状況に置かれているからこそ、余計に。
 言ってしまえば、八戒の自己満足でしかない。それでも、例え彼が寝ていてもかまわないから、ちゃんと言葉にして言いたかったのだ。今の八戒の気持ちを。
 本当は、この日ぐらいちゃんと宿に泊まりたかったんだけどなあ。
 八戒はそう独りごちると、再度懐中時計をうかがい見る。時計の針が、ぴたりと重なったことを確認して、八戒は自分の後ろに座って寝ている悟浄に向かい、ふわりと花がほころぶような暖かい笑みを浮かべてそっとささやいた。
「誕生日おめでとうございます、──悟浄」
 生まれてきてくれて本当にありがとうと、想いのたけをこめてつぶやく。例え、起きている悟浄に伝えられなくても、今、この瞬間にきちんと伝えられたことを八戒はうれしく思った。悟浄という存在が、八戒にとってとても大きな存在であるからこそ、この日に、彼が生を受けたことを感謝せずにはいられない。
 八戒は幸せそうな微笑を絶やさぬまま、体ごと後ろに向いてそっと悟浄の口唇に自分のそれを重ね合わせた。が、軽く触れ合わせただけですぐに離れようとした八戒の口唇に、いきなり熱いものが押し当てられ、八戒は驚いて息をつめる。
「……──な、んっ」
 てっきり深い眠りについているとばかり思っていた悟浄の腕が、ぐいと八戒の頭を掴んで引き寄せたせいで、口付けはますます深いものになった。その勢いで、八戒の体が悟浄の胸の中に倒れ込むようなかたちになる。とても今まで寝ていたとは思えないくらいの悟浄の力強さに、八戒は困惑気味に彼の胸元をぎゅっと握り締めたが、それでも悟浄の求めるようにそっと舌を絡めた。
 それでようやく満足したのか、悟浄がことさらゆっくりと口付けを解いた。そして、八戒に向かい、にやりと嬉しげに口の端をつり上げて笑った。
「サーンキュ、八戒。おまえの気持ちはしっかり受け取ったぜ」
「……悟浄、起きてたんですか」
 八戒は少し赤くなっているであろう顔を見られないようにと、わざと悟浄から視線をはずしつつ、自分の指定席へと座り直そうとした。しかし、その左腕をしっかりと悟浄に掴まれて、八戒はいぶかしげに彼を見つめ返す。
「悟浄?」
「せっかくだからさ、ジープ降りて少し歩かねえ? どうせ、まだ寝ないんだろ?」
 悟浄からの誘いに、八戒はにっこり笑って「いいですよ」と答える。どのみち、これ以上ここで悟浄と会話を続けても、隣で眠る三蔵や悟空を起こしてしまうだけだろう。そうなると、後々面倒である。
 それに、今は素直に彼と二人きりになれるほうがいい。
 八戒はそう結論づけると、そっとジープの運転席から地表へと降り立った。悟浄もそれにならってジープから降りる。そして、ちらりと八戒を一瞥すると、ゆっくりと歩きだした。八戒もその後に続く。
 少しジープから離れたところで、悟浄はふと立ち止まり、近くにあった木を背もたれにして懐から煙草を取り出し火をつけた。そんな彼の様子に、八戒はやれやれと肩をすくめる。
「ここで休憩ですか」
「まあな。ここまでくれば、あいつらの邪魔にもなんないだろ?」
「そうですねえ。……ところで、悟浄」
「ナニ?」
 どう見ても寝起き風ではない彼に、この質問を投げかけるのは愚問なような気がしないでもないが、それでも敢えて八戒は訊いてみることにする。一体悟浄はいつから目を覚ましていたのか、を。八戒の予想が正しければ、多分。
「あなた、一体いつから」
「んーと、最初から」
 驚いたっしょ? と笑う悟浄に、八戒はやはりと、何とも言いがたい気持ちになる。ということは、カウントダウン前の八戒の様子も、時計の針が重なった直後のささやきも、全部悟浄に知られていたわけだ。そう思うと、少し、いやかなり気恥ずかしかった。悟浄が寝ていると思ったからこそ、自分はかなり素の状態に近かったと思うから余計にである。
 八戒の貌に浮かんだ表情を見て、悟浄は苦笑したようだった。八戒が口を開こうとするのをさえぎるように、言葉をつなぎ始める。
「だって、おまえも最初っから寝たふりしてただけで、全然寝る素振りなかったじゃん。だから、気になって俺も寝たふりだけしてたんだけどさ、……さすがに今年のは忘れてたから、正直あの一言にはびっくりした。でも、すっげー嬉しかったんだぜ? ホントは最後まで寝たふりしとこーと思ってたけど、おまえのほうからキスしてくれたから我慢できなくなっちゃってさあ」
 据え膳食わぬはオトコの恥って言うだろー、と悟浄はにやりと男くさい笑みを刷く。それは違うでしょうと八戒は呆れつつも、それにつられるように微笑んだ。
 悟浄の、さりげない気遣いに、胸が──あたたかくなる。
 八戒が起きていたことに気づいて、八戒に気づかれないように自分も寝ずに様子をうかがっていてくれた悟浄。
 そう、いつもさりげなく、それでいて相手の負担にならないように、上手に気にかけてくれている。その、彼の優しさに八戒はいつも救われていた。
 そして、今日もまた。悟浄の、その心遣いが心地よくて、そして苦しい。
 ……まったく、悟浄というひとは、本当に。
 八戒は泣き笑いのような表情を浮かべて、悟浄を見つめた。そして、ゆっくりと悟浄に近づく。二人の距離が互いの吐息まで感じ取れるほどに縮まってから、八戒はそっと悟浄の首に腕を回した。
「……何だか僕がプレゼントをもらった気分ですよ」
「そお?」
 くすくすと悟浄は楽しげに笑いながら、ぐいと両腕を回して八戒の腰を引き寄せた。そして、八戒の耳元に息を吹きかけるようにささやく。
「じゃあさ、俺にも何かプレゼントくれる?」
「そうですねえ、」
と、八戒は耳元をくすぐる悟浄の吐息にぞくりと背をふるわせながらも、はんなりと微笑んだ。その言葉の先を急かすように、悟浄の口唇が八戒の耳朶を甘咬みする。八戒はそれに答えるように、そっと彼の頬に指を滑らせた。
「……何が欲しいですか?」
「そりゃー、決まってるっしょ」
 そう言って、悟浄はゆっくりと自分の頬に置かれた八戒の右手をとって、その甲に口付けた。
「八戒が一番イイ」
「……お手柔らかにお願いしますね」
 明日も早いんですから、とさりげなく無茶はしないよう釘を刺す八戒に、悟浄は苦笑しつつもはいはいと返事を返しながら、八戒への首筋へと熱い口唇を落とした。その熱さに、八戒の身の内の熱も上がった気がした。


 悟浄の熱を全身で受け止めながら、八戒はまるで祈るように思う。
 こうして、今年もまた、この日に悟浄と共に在れたことを。そして、願わくばその次の年もまた、共に在れますようにと。





 ──今日は、あなたの、生まれた日。
 だから、僕の想いのたけをすべて──あなたに。







FIN

記念すべき初書き58。

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