いつかのメリークリスマス




「なあ、八戒。クリスマスケーキ、つくってくんないかなあ」
 不意に悟浄からかけられた言葉に、八戒は思わず立ち止まった。
 今、いったい何を言われたのかすぐには理解しかねて、悟浄の言葉を脳裏に反芻する。
 それまで夕食後の片付けをするために居間と台所を往復していたところだったのだが、ちょうど悟浄の傍を通り掛るところで声をかけられたため、八戒の視線は自然とまだ食卓用の椅子に腰掛けたままの悟浄を見下ろすかたちになった。そして、まじまじと少し上から彼を凝視する。
「……えっと、クリスマスケーキ、って言いました? 悟浄」
「うん。――あ、ナンだよその顔」
 同居を始めて半年以上は経過したが、悟浄の口から『ケーキ』を作って欲しいなどと言われたことなど、今まで一度もない。それ以前に八戒のなかでは、悟浄はケーキなど甘いものは一切食べないという認識が出来ていたため、あまりにその彼からかけ離れた単語にどうにもすぐに反応出来なかっただけで。
 そんな八戒の迷いが、多分顔にはっきり出ていたのだろう。悟浄が面白くなさげに、む、と顔をしかめるのに、八戒はすみませんと苦笑してみせた。
「いえ、悟浄、ケーキ食べれるひとだったかなあと思って」
「んー、ベツに好きでもなければキライでもねぇけど。ただ甘ったるいのはキライ。特に食べたいとも思わねぇし」
「それなら、なんでいきなり『クリスマスケーキ』なんです?」
 確かに、気がつけばあと一週間もすればクリスマスである。八戒自身は特に用のない日なのですっかり失念していたのだが。きっと悟浄なら予定目白押しなんだろうなあ、と内心で苦笑を深めた。
 だからこそ、何故クリスマスケーキを作って欲しいのかがよく判らない。悟浄なら、なにも八戒が作らずともクリスマス当日にしっかり食べることが出来るのではないかと、八戒は思った。
 悟浄は少し照れくさそうな仕種で、ようやく肩につくまで伸びた紅髪をわざとらしくかきあげた。じっと下を向いたままぼそりと呟く。
「だって、今まで食べたことねーんだもん俺。で、八戒のつくったヤツなら食べたいと思ってさ」
「――え?」
 今まで、食べたことがない?
 その言葉を頭のなかで繰り返してから、八戒は大きく目を瞠った。なんだか今晩は驚いてばかりだった。
「一度も、ないんですか?」
「……そんなに意外?」
 ようやく悟浄が顔を上げて八戒を見た。しかし、その口許に浮かぶ自嘲めいた笑みに、八戒は彼に気づかれないよう短く息を呑んだ。
 こんなふうに時折悟浄がかいま見せる複雑な感情の入り混じった笑みは、わけもなく八戒に罪悪感を抱かせる。もしかしたら、自分は彼の踏み込んではいけない部分に触れてしまったのではないかという、危惧にも似た――。
 八戒はふ、と口許を緩めて、笑みを形づくった。
「いいえ、よく考えたら誰もがクリスマスだからと言って、必ずしもケーキを食べるとは限りませんもんね」
「……ま、そりゃそーだけど」
「判りました。悟浄ご所望のクリスマスケーキ、作りましょう。どんなのでもいいんですよね」
 八戒が笑顔で問いかけると、悟浄は何かを言いたげな瞳で、ちらりと八戒を流し見た。それに八戒が笑顔のまま小さく首を傾げると、ようやく口を開く。
「あのさ、俺頼んだのはいーけど、お前クリスマスに予定とかねぇの?」
「いえ、特には何も。そういう悟浄こそ、何かおありなんじゃないです?」
「ベッツにねぇよ。それよか、お前がケーキつくってくれんのなら、それが俺の予定」
 ニッと口の端を上げて、悟浄は笑った。その笑みに、八戒の胸がとくんと鼓動を刻む。
「じゃあ、僕の予定はクリスマスケーキを作ることですね」
「八戒お手製のケーキ、楽しみにしてるぜ。――あ、これから出掛けてくるわ」
 悟浄はどこか嬉しげ様子で、椅子にかけたままだった上着を掴むと、そのまま賭場へと出掛けて行った。その背をしっかりと見送ってから、八戒はやれやれと肩で大きく一息ついた。
「しかし、ケーキ、ですか……」
 どうしたものか、と、八戒は思わずため息まじりに呟く。
 実は、大抵の料理はこなすことの出来る八戒をして、ケーキは一度も作ったことがなかった。さすがに、料理と菓子作りが似て否なるものくらい八戒も知ってはいる。だから、それなりに料理が作れるからといって、同じように菓子も作れるとは限らないのが実情なのだ。
 それでも。
 彼の真意は判らないけれど、悟浄からこうして「クリスマスケーキ」を作って欲しいと言われたことは素直に嬉しいと八戒は思った。八戒にとってとても大切な同居人から、こんなふうにお願いをされるのは、こんな自分でも必要とされているようで嬉しかった。しかも、めったにない悟浄からのお願いなのだから、なおさらである。
 だから、八戒は悟浄のために、腕によりをかけてクリスマスケーキを作ろうと思った。
 初めてだけど、とりあえずどうにかなるだろう、と――苦笑しつつ。



 そして、クリスマス当日。
「よし、なんとか出来ましたね」
 オーブンから焼き上がったスポンジを取り出してその出来栄えを確認してから、八戒は安堵の息を漏らした。その傍で、ジープが不思議そうに八戒の手元を覗き込んでいる。この賢い白竜は台所からいつもとは違う甘い香りが漂うことに気づいて、物珍しげにケーキ製作の一部始終を見物していた。
 八戒が悟浄のためにと選んだクリスマスケーキは、ブッシュ・ド・ノエル。木の幹を形どった典型的なクリスマスケーキである。普通のホールケーキよりも、このほうが甘味を抑えられると思ったのだ。デコレーションに使うクリームにブランデーを混ぜれば、甘いものが苦手な悟浄も多分大丈夫だろうと。
「きゅう?」
「さすがに、ジープはケーキ、食べられますかねぇ? まあ、後でいっしょに食べましょうか」
「きゅ!」
 八戒の楽しげな雰囲気が判るのだろう。ジープもいつもよりははしゃいでいるように見える。
 そんな白竜の姿を微笑ましく見つめながら、八戒は頭に叩き込んだレシピ通りにケーキをデコレイトしていく。腰を屈めて黙々と作業をしていた八戒は、最後の飾り付けを終えてようやく詰めていた息を吐き出した。そして、上半身を上げ、卓上のブッシュ・ド・ノエルをまじまじと見下ろしにこりと微笑む。
「――完成です、ね……」
 悟浄の口に合うといいのだけれど。
 肝心の悟浄は、起きてすぐに街に出掛けると言って家を出てからまだ帰ってきてはいない。特に予定はないとは言ってはいたが、その割にどこか慌てたふうだったように思う。悟浄のことだから、こんな日だし、何か急用でも入ったのかもしれないし。
 と、その時。
「ただいまっ! ――お、出来てるじゃん」
 ばたばたと騒がしさ全開で、悟浄が帰ってきた。八戒も声をかけるべく、悟浄のほうへと視線を向けた。
 悟浄が手にしていたものを翠瞳で捉えた途端、八戒は小さく目を瞠った。
「悟浄、それ……」
「あ、コレ。俺からお前に。っても、俺も飲むんだけど。ま、そのケーキお前も食うんだろうからいっしょだろ?」
 そう言った悟浄が手にしていたのは、いわゆるシャンメリーというシャンパンもどきである。確かにクリスマスの定番ではあるが。これまたどうにも悟浄と結びつかないもので、八戒はふわりと笑みを浮かべた。
「で、なんでまたシャンメリー、なんです?」
「イヤ、八戒にケーキつくってくれって言ったはいいけど、じゃあ俺は八戒にナニ返したらいいのかなって思ってさ。ずっと考えてたけど、今日の今日までいいモン思いつかなくてさあ……で、昼に街に出掛けたらナンかあるかも、と思っていってみたら、これが目に入ってよ」
「だから、シャンメリー、なんですか」
「そ。クリスマスといえばコレだって、……そういやガキの頃そう思ってて飲んだことなかったからさ」
 その言葉に、八戒はふと、悟浄の顔を凝視した。
 今、さらりと、悟浄はそう言ったけれど。
 つまり、――悟浄は幼少の頃から今まで、普通の家庭で行うようなありふれたクリスマスというのを経験したことがないのではないかと。悟浄の口から、彼の過去をきちんと聞いたことはない。けれど、彼の生い立ちが普通でなかったことくらいは、なんとなく判る。
 だからこそ、そんな悟浄が「クリスマスケーキを食べたい」と言った言葉の重みが、今になって判った気がする。
 そして、それなのに「八戒の作ったものなら食べたい」と言った彼の気持ちが本当に嬉しくて。――ほんの少し、こわさも感じるけれど。それでも、胸の奥がほわんとあたたかいものに包まれる気がして、八戒はその気持ちを大事に胸に抱えながら、悟浄に向かいにこりと微笑んだ。
 それなら、二人で、『ふつうのクリスマス』をしよう。
 八戒とて、今までこうしたありきたりなクリスマスを過ごしたことなどなかった。なまじ基督教系の孤児院や学院にいたからこそ。だから、二人で、取り戻すのもいいかと思ったのだ。
 八戒なら、と言ってくれた悟浄のためにも。
 二人で、初めてのクリスマス、を。
「いいですね、クリスマスらしくて。ケーキにも合いますよ、きっと」
 八戒の笑みに悟浄も安心したのか、いつもの彼らしい笑いをその口許に佩いた。シャンメリーを食卓の上に置いて、まじまじと出来上がったばかりのケーキを眺める。
「やっぱ、お前のつくるもんって美味そう。ささ、早速食べようぜー」
「もう少し待って下さいよ。グラスとかこれからなんですから」
 すっかりもう食べる気満々の悟浄に苦笑しつつ、八戒はグラスと皿を取りに台所に向かった、その時。
「――ありがとな、八戒」
 悟浄が嬉しそうに笑って、八戒に声をかけた。八戒は思わず立ち止まると、くるりと悟浄へと向き直る。そして、ふうわりと破顔した。
「どういたしまして。せっかくだし、しっかり堪能して下さいね」
 ――クリスマス、を。
 八戒の言葉に、悟浄は一瞬虚をつかれた表情を浮かべたが、すぐにニッと唇の端を上げて笑った。
「そうだな、じゃ早くこっち来いよ八戒」
「はいはい」
 そして、悟浄にせかされつつ、準備を終えた八戒も席につく。
 これから二人で、大切な時間を過ごすために。




 ――いつかのメリークリスマスの分も、すべて。








FIN

「妖狐堂」様の『Christmas campaign 2002』へ寄稿。

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