thanksgiving




「なぁ、"めりーくりすます"って何?」
 一週間もかけていくつもの山を越え、昼過ぎにようやく町らしい町にたどり着いたところへ、唐突に悟空が口を開いた。
 町へ入ったばかりだというのにどこの店先にも、赤と緑の色彩に彩られた装飾と、大小さまざまな大きさの木々に色とりどりの飾りつけ、もしくは電飾が巻きつけられたもの等、この旅に出てから初めて目にする光景があちこちで見られる。そして、たいていが同じ横文字で綴られていた。
 町のいたるところで見かける見慣れない色彩と文字にすばやく反応した悟空を、三蔵は眉間の皺を深めて思い切り無視を決め込む。その様子に、悟浄はおや、と面白そうに紅眼を眇め、八戒は困ったように笑みを浮かべた。
「そっか、サルには今まで無縁だったよなー」
「仕方ないですよ。住まいがお寺ですもん」
 くすくすとふたりだけで判るように話をする悟浄と八戒が気に入らないのか、悟空はあからさまに頬をふくらませ、悟浄の肩をぐいと掴む。
「ずっりぃ! みんな知ってて俺だけ知らないのは許せねぇ!」
「うっせぇサル! 三蔵ンとこにいるテメェが悪いんだよ」
「黙れ河童!」
 一気に険悪な雰囲気になり始めた三人に、町中であれほど目立つ行動は慎みましょうと言っているのに……と、八戒は深々と嘆息した。このままほうっておけば、間違いなく取っ組み合いを始め、破戒僧が愛銃をぶっぱなすのだろう。それはいただけないと思った八戒は、にっこりと剣呑な笑みを口許に刻んで、今にも掴みかかろうとしている三人を見据えた。
「はいはい、いつも言うように、じゃれ合いは他所でやって下さいね〜」
 のほほんとしたどこか間延びした口調でありながら、けれどその響きにものすごく不穏なものをひしひしと感じたのか、三人とも瞬時に動きを止めた。三蔵はますます柳眉をよせて、ちっと激しく舌打ちする。
「俺には関係ないモンなんだよ」
「そりゃそーだよなァ。カミサマが違うモンな」
 くくっと愉快そうに咽喉を鳴らす悟浄を、八戒は冷たい微笑と凍えた視線だけで黙らせた。う、と悟浄が怯んだ隙に、にこにこと穏やかな笑みに代えて、八戒は悟空へと向き直った。
 その表情は、完全に教師モードである。
「悟空が知らないのは当然です。だから、気にすることはないですよ」
「そっか! じゃあさ、今教えてくれる八戒っ?」
 期待に満ちた金の視線を惜しみなく向けてくる悟空に内心苦笑しながら、それでも八戒は微笑みを絶やさぬまま、ゆっくりと口を開いた。
「クリスマス、というのはですねぇ、……」



********



「確かに、もうそんな時期だったんですね。気づかなかったけど」
 買出しの途中にしみじみと呟いた八戒の言葉に、悟浄はちらりと横を並んで歩く八戒を流し見た。久しぶりの荷物補給ということもあり、既にふたりとも両腕いっぱいに紙袋を抱えている。この状態ではさすがに煙草を銜えることもかなわず、悟浄は口寂しさとともに溜息を吐き出した。
「仕方ないっしょ? こんな旅してたんじゃ、日にちの感覚なくなるって」
「そりゃそうですけど。まぁ、いいんですけどね。クリスマスのひとつやふたつ気づかないことくらいは」
 こうして旅に出る前に八戒とふたりで暮らしていた頃、特にクリスマスだからと言って何をしたわけでもなかった。悟浄にとってのクリスマスとは、パーティと称して仲間内と派手に騒ぐか、もしくは東方の島国から伝わったらしい習慣のひとつである恋人同士が熱く語らう日という認識しかない。
 八戒とはれて想いが通じ合ったのはこの長旅に出てからだから、クリスマスという日に彼と特別な時間を過ごしたこともない。だから、悟浄としては、ほんの少しだけその東の国から来た習慣にならってみるのも悪くないかも、と思っていたところだったのだが。
 ふと、昼間の八戒の言葉を脳裏に反芻して、悟浄はおもむろに口を開く。
「なぁ、悟空に言ってたコト、あれマジ?」
「――は?」
 悟浄の訊き方が悪かったのか、八戒は露骨に疑問符を飛ばしながらまじまじと悟浄を見つめ返してきた。それにむ、と拗ねた表情を浮かべて、悟浄はわざと視線をそらしながらもう一度口にする。
「だからぁ、サルに説明してたじゃん。クリスマスの意味、ってヤツ」
「あぁ、そういえばそうでしたね」
 すっとぼけた風の八戒の物言いに、もしかしてこいつもう忘れてたんかい、と悟浄は軽く肩を落としながらそれでも言葉を続けた。
「感謝する日、ってナンでよ」
 実際、八戒が悟空に対して説明をしたのは、クリスマスという言葉の意味と、行事としての意味合いのふたつだった。端から聞いていた悟浄も思わず納得してしまうほど、実に解りやすく説明をしていたがために、その内容がどこまで真実か逆に疑ってしまうくらいに。
 八戒は悟空に向かい、こう言ったのだ。クリスマスは、要は家族と感謝をする日なんですよ、と。だから、悟空にとっての"家族"と美味しいものを食べながら感謝をして下さい、と言った八戒に、悟空は喜色満面の笑みを浮かべて「判った!」と単純に納得し、話はここで終わったのだった。
 つまり、どうして感謝をする日なのかの説明がまったくなされていないのだ。
 悟空は結論だけで十分だったのか、それ以上言及することはなかった。けれど。
「さぁ。実際のところ、僕も本当の理由(わけ)はよく知らないんですよ。ただ、前に話したと思いますけど、僕は基督教系の孤児院で暮らしてましたし、こういう薀蓄(うんちく)は嫌でも覚えてるんですよねぇ」
 淡々と話す八戒を、悟浄はなんとも言い難い面持ちでそっと見やった。ふと目が合った途端、八戒が苦笑めいた笑みを口許にはく。
「あの当時は本当にどうでもよかったんですけど。もちろん、今もその起源とかそーゆうのはどうでもいいです。とてもじゃないけど神様の生誕を祝う気持ちにもなれないし、そんなことをしてなんになるかと思うし」
「八戒、」
「でもね、悟浄」
 それまで歩きながら俯き加減で話していた八戒の足が、ふいに止まった。それに合わせて、悟浄も歩を止める。すると、八戒はゆっくりと顔を上げて悟浄を見た。そうして、ふわりと、穏やかでありながらどこか切なげな笑みを浮かべた。
「シスターたちが、クリスマスとは、この一年間無事に過ごせたことを、そしてこれから一年間無事に過ごせることを家族と静かに感謝する日だと言った時、僕はなんて残酷なことを言うんだろうと思いました。孤児院は、家族のいない子供たちが集められるところなのに、なんてことを言うのかと。他の子供にとって孤児院にいる者すべて家族だったのかもしれないけれど、僕にとっては家族なんかじゃなかったから」
 そう言って、再び歩き出した八戒の後に、悟浄も続く。
 いつになく饒舌に語り始めた八戒を、悟浄はただ黙って見ていることしか出来なかった。悟浄の横を歩きながらひどく痛々しげに語るその姿に、もうやめろ、と咽喉まで出掛かる。こんな話題を振った己自身に対して自己嫌悪に陥りながら、それでもこの男がこうして、おそらく悟浄にだけ吐露する弱さを見せ付けられてどこかで嬉しい、と思う自分がいるのも事実だった。
 それにますます自己嫌悪を深めた悟浄は、口許を引き結びながら溜息を零す。八戒は申し訳なさそうに口の端を歪め、再び翠の双眸を伏せた。
「すみません、いきなりこんなこと」
「あ、イヤ、そーゆうんじゃ、ねーから」
 八戒の話題を不快に思ったと勘違いされたら困ると云わんばかりに、悟浄はあわてて否定をする。八戒はふいに顔を上げて頭上の空――今にも雪が降り出しそうなほどどんよりと曇ったそれを見上げて一息ついてから、もう一度悟浄へと向き直った。
 その、晴れやかな表情に、悟浄はつと胸を突かれたように息を呑む。
 そう、八戒は笑っていた。とても幸せそうに。
「でも、今なら解る。そう、今なら、――感謝したいひともいますし、ね」
 八戒の笑みから目が離せぬまま、悟浄は思わず立ち止まった。そして、どうにか重い手荷物を片腕で支えると、空いたほうの右腕で八戒の右腕を掴み、そのままずるずると彼をすぐ近くに見えた細い路地へと連れ込む。
「ちょ、……と、痛いです、……ご、じょ?」
「――」
 ひと一人がやっと通ることの出来る幅しかない建物と建物の間の路地に八戒ともども身を滑り込ませた途端、悟浄は突然のことに言い募る男の唇を己のそれで塞いだ。突然の悟浄の行動に、眼前の彼が息を呑み込んだのが伝わってくる。その隙に、悟浄はさらに唇同士を深く重ねた。そろりと熱いぬめりも差し込んで、ここが外だと思えないくらいの、濃厚な口付けを送る。
「ふ、……ぁ、ん……」
「はっかい…」
 互いの口から、鼻にかかった声とともにあまやかな吐息が零れる。そこで悟浄は、無意識に八戒を壁に押し付けていたことにようやく気づいて、ゆっくりと身を離した。然もたらされた甘いキスの余韻で濡れる翠瞳をゆっくりと開きながら、八戒はきつく悟浄を睨めつけた。少しだけあがった息を整えるように、うすい胸がわずかに上下している。
「悟浄、貴方いったい」
 そんな色っぽい目付きで睨まれても、かえって煽られるだけだっつーのと、悟浄は内心苦笑しながら、口の端をゆるりと吊り上げる。
「だからさ、俺なりに"感謝"をしてみました」
「…………悟浄、」
「俺ら、家族みたいなモンだろ?」
 悟浄の言葉に、目の前の痩身がこれでもかというほどに大きく目を見開いた。だが、すぐに花がほころぶような柔らかな笑みを浮かべる。その笑顔に、今度は悟浄のほうが見惚れる番だった。
「この程度の"感謝"でいいんですか貴方は」
 八戒の翠玉が、悪戯っぽい煌きを湛えながら細められる。
「イーヤ、こんなモンじゃ、足りねぇケド?」
 再び己の顔を、八戒へと近づける。唇と唇が触れ合うほど近づけて、もう一度眼前のいとしい男の瞳を見つめた。八戒の目元がさらにほころぶ。
「折りしも今日はこの町で一泊ですし、続きは宿に帰って、にしません?」
「オーケー。でも、あと一回だけ、ここで」
「……まったく」
 仕方がないですねぇ、と微苦笑する八戒の口を塞ぐべく、悟浄はまだわずかに濡れる彼の薄紅色の唇にキスをする。ちゅ…と、軽く濡れた音がそこからあがる。それを合図に、もう一度悟浄は与えるように、求めるように、深くきつく口付けた。
 誰よりも大切なひとへと。
 触れ合うことで感謝の気持ちを伝えるために。感謝の気持ちを届けるために。





 貴方に出会えたこと。
 貴方が生きていること。
 こうして今、貴方が隣りにいること。
 そして、これからも貴方とともに、過ごすことが出来るようにと。
 この日に、貴方と一緒に感謝をすることが出来る、それが嬉しい。
 そう、幸せそうに微笑む彼とともに。そして、そんな彼に向かって。



 ――心からの感謝、を。








FIN

「妖狐堂」様の『Christmas campaign 2003』へ寄稿。

inserted by FC2 system