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 久しぶりにたどり着いたそれなりに大きな街で、当座の荷物の買い出しに精を出していた悟浄と八戒の視界をふとかすめた光景に、八戒のほうが思わず歩を止めた。つい、とその光景を凝視する八戒に、悟浄も彼に合わせて一旦立ち止まる。
 それはどうやら結婚式のようだった。それなりに大きな旧家らしき家の前で、華やかな衣装に身をつつんだ新郎と新婦を、おそらく親族の者たちがその場にわらわらと集まった街のひとたちにお披露目をしているようだ。桃源郷では、割と一般的なかたちの結婚式である。
「ああ、――結婚式ってヤツね」
 特に何の感慨もなく悟浄がつぶやけば、八戒はびくりと肩を震わせた。そこでようやく我に返ったらしい八戒は、そろりとばつが悪げな視線を苦笑とともに悟浄に向けてきた。
「すみません、先を急ぎましょう」
 八戒は、両手で抱えていた荷物をわざとらしく抱え直すと、にっこり笑って再び歩き始めた。そんな八戒の様子に、悟浄の目が一瞬いぶかしげに細められる。だが、すぐに片側の口の端を器用につり上げて、ちらりと八戒を見やった。
「ナニ? ナンか気になんの、アレ?」
 ごくごく普通の、どこにでもあるような結婚式の一風景を目の当たりにしただけにしては八戒の反応がおかしいと、悟浄は思った。だから、その疑問をそのまま口にのせれば、八戒は困ったように首を傾げた。うっすらと苦笑じみた表情を浮かべる。
「いえ、なんでもないです。気にしないで下さい」
「ナンでもねぇ、ってふうにも見えねぇんだけど」
 常ならばここで八戒の思惑通りこの話はなかったことにしてやる悟浄だが、めずらしく今回は八戒のはぐらかしにのってやる気はなかった。それは多分、この光景を目にした瞬間の、あの八戒のなんとも表現しがたい、どこか凍りついたような表情がどうにも気になって仕方がないからと、悟浄は心中で誰にともなく言い訳をしつつ、ため息を漏らす。
「めずらしいですね、悟浄がここまでしつこいなんて」
「そんなコト言ってはぐらかそーと思っても無理無理」
「……かないませんね、本当に」
 八戒はふ、と視線を足元に落とすと、ひっそりとため息を零した。
「ちょっと思い出したんですよ、昔の事を。そういえば、僕たちもあんなふうに誓い合ったなあ、って」
 八戒の言う"僕たち"とは、かつて彼が悟能と名乗っていた時にともにあった存在との間でのことだ。八戒は、悟浄の前でその女の話を特にはしたがらない。それがわざとなのか、そうではなくただ単にしないだけなのか、はっきり聞かされたことのない悟浄にはよく解らない。ただ今はわざと話をしたくなかったんだろうと、悟浄はなんとなく思った。
 これからずっとともに歩もうと、ともに誓い合った最愛の相手を、一番残酷なカタチでなくして。
 それなのに、今、目の前でくり広げられている、もしかしたら過去の自分が得られたかもしれない幸せのカタチを見せつけられて、八戒なりに思うところがあったと、そういうことなのか。
 悟浄は、不意に怪訝そうに眉宇をよせると、八戒に気づかれないよう胸中で小さく舌打ちした。
(どうして、コイツってこう、)
 そういう態度が、余計悟浄の気を惹くのだと、多分気づいていないのだろう、八戒は。
 だから、悟浄もわざとらしく大きく肩をすくめて見せた。
「それじゃ、ナニ? 八戒さんは、もしかしたら結婚したかったり、する?」
「――なんで、いきなりそーゆう方向になるんです?」
「イヤ、次の展開として、そーくるかなと」
「だいたい誰と結婚するんですか」
「そりゃあ、俺とだろ」
 当然っしょ、と悟浄がニッと笑みを形づくると、八戒からあからさまに胡乱げな視線が送られてきて、悟浄は再度顔をしかめた。
「悟浄、結婚したいんですか?」
「だから、俺がお前にそれを訊いてんだけど」
 どうやら話の流れがおかしな展開になってきたことに、悟浄は不本意だと云わんばかりに口をへの字に引き結んだ。じろりと自分の横を並んで歩く八戒を流し見る。
「――僕は、」
 八戒はゆるゆると息を吐き出しながら、一言ずつ噛みしめるように言葉を紡いだ。いつもより、どこか絞り出すような声音で前方を見据えたまま話す八戒に、悟浄はゆっくりと彼のほうへ顔を向けた。
「約束事とか、誓いの言葉とかは、もう、いいです」
 八戒はそう言い切ってから、不意に悟浄へと顔を合わせた。そして、あわく――消え入りそうな儚げな笑みをその貌にのせた。その微笑みに、悟浄は思わず息を呑む。
 果たせなかった、約束。
 叶えられることのなかった、誓い。
 結婚とは、つまりはこれから二人がともに生きることを約束し、誓い合うことでもあるのだ。一度は大事なものを手にしながら、それを無惨にも奪われてしまった経験のある八戒がそう言う気持ちも判らないでもない。
 けれども。
「お前がそーゆーの、もうカンベンって思ってんの判ってるけど」
 悟浄は、ふと口元を緩めると、目を細めて八戒を見た。
「でも、俺が言ったら聞いてくれる?」
「何を、ですか?」
「誓いのコトバ、ってヤツを」
 悟浄の台詞に、八戒は一瞬気配だけを揺らし、そのまま大きく目を見開いて悟浄を見つめた。
「――え、」
「俺は、この先もお前といっしょに生きたい。そー思える相手、お前しかいないから。だから、さ」
 ――俺といっしょに。この先も、ずっと。
 八戒は、ぴたりと歩みを止めると、ただ無言で悟浄を見つめ続けた。あわせて悟浄も立ち止まって彼を見つめ返すと、その顔にはっきり驚いたと書かれていて、悟浄は内心苦笑を禁じえなかった。何より、こんな約束めいた言葉をよもや自分があっさり口にしようとは。そのことに、悟浄自身が一番驚いていた。
 ずっととか、永遠とかなんて陳腐な言葉自体、悟浄自身も信じてはいない。そんな絵空事を素直に信じていられるほど、悟浄も八戒も色々なものを背負いすぎているから。それでも。
 悟浄が初めて望んで、そして得ることができたこの男に対して、何故だか、今、口にしたいと悟浄は思ったのだ。「愛している」と同じくらい、真実味のない、それでも願わずにはいられない、誓いの言葉を。
「……反則ですよ、悟浄」
 ひっそりと漏れた八戒のつぶやきに、悟浄は再び八戒へと視線を向けた。目が合った途端、八戒はふわりと、まるで泣き笑いのような、それでいて満面の笑みを浮かべた。
「八戒」
「約束も、誓いも、もういらないとあんなに思っていたのに、――貴方からのその言葉が、こんなに嬉しいなんて」
 ――今。
 とにかく無性に八戒を抱きしめたいと、悟浄は衝動的に思った。だが、自分の両腕を塞ぐ荷物の存在に阻まれてそれが叶わないことに、悟浄は胸中で盛大に舌打ちする。すると、八戒は何故かさらに笑みを深めて、にっこりと悟浄を見つめた。
「悟浄、ちょっとこちらへ」
「八戒?」
 八戒は笑顔のままくるりと踵を返すと、今歩いていた大通りのすぐ脇にある、あきらかに人通りのなさげな路地へとするりと身を滑り込ませた。とりあえず、悟浄もそれに続く。
 完全に大通りのほうから自分たちの姿が見えないことを確認してから、八戒はゆっくりと両手の荷物を地面に置いた。そして、あいかわらずふわりとした笑みを浮かべたまま、事の成り行きをいまいち理解できていない悟浄の両腕からも荷物を取りあげ、それも足元に置く。
「僕が昔いた孤児院の宗派では、結婚式の際、誓いの言葉の後、誓いのキスをする習慣があって」
 八戒がそろりと、悟浄のほうへ腕を伸ばしてくる。この状況をようやく理解した悟浄も、空いた両腕を八戒の腰へとまわした。
「じゃあ、俺たちも、スル?」
「そうですね。僕も、貴方に誓ってもいいですか?」
 互いの吐息も感じ取れるほどの至近距離まで顔を近づけると、悟浄はそろりと右手を八戒の頬へとゆっくりと這わせた。その手に、八戒の左手が重ねられる。そして、悟浄も初めて目にするのでないかというほど、それはそれは綺麗な笑みを八戒はその面に刷いた。その笑みを目の当たりにして、悟浄の胸奥に、今まで感じてきた以上のあたたかいなにかがこみ上げてくる。
「八戒も、誓ってくれンの?」
 悟浄は自分の右手に重ねられた八戒の左手を捉え、そろりと握り込んだ。その動きに合わせて、八戒はさらに笑みを深める。
「ええ。――ずっと、貴方とともに」
 それこそ噛みしめるようにささやかれた八戒のその言葉に、悟浄はぎゅっと彼の躯を力いっぱい抱きしめた。
 ――もう、約束も、誓いもいらないと言った彼が。
 こうして、悟浄に誓いの言葉を返してくれたその重みが痛いほど判るから。だから、悟浄は抱きしめる。言葉よりも、きっと雄弁に悟浄の想いが伝えられるはずだから。
 悟浄にとって、こんなにも嬉しくて、こんなにも幸せなことなのだ、と。
「悟浄」
 ぎゅうぎゅうとただ抱きしめるだけの悟浄の耳元に、苦笑まじりの声が落ちてくる。そこで、ようやく悟浄は抱きしめる腕を緩めて、八戒へと向き直った。
「ナニ?」
「誓いのキス、するんじゃなかったんですか?」
「そういや、そーだった。それじゃ、」
「――誓いのキス、を」
 二人はほんの一瞬見つめあうと、そのまま厳かに唇を触れ合わせた。それは、すぐに互いを深く求め合う接吻となる。 まるで、唇から伝わる互いの誓いを、確かめ合うように。






 「これから先も、ずっと。――二人でいっしょに、生きよう。」








FIN

「NIGHT FRAGRANCE」様に進呈。

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