FACE




 八戒が悟空とともに買出しを終えて宿に戻ると、宿の庭先から子供特有の甲高いはしゃぎ声と聞き慣れた男の絶叫が聞こえてきて、ふいに頬をゆるめた。
 どうやらはからずも、悟浄が子供たちにつかまっているらしい。
「なに、アレ悟浄の声だよな?」
 八戒と並んで歩きながら、たくさんの荷物を両腕いっぱいに抱えた悟空が意外そうな声をあげる。
 それに、八戒はただ苦笑するしかなかった。悟空とともに、とりあえずは買出し荷物を運ぶために宿内に入った八戒は、くすくすと微苦笑をこぼす。
「あのひと、なんだかんだいって、面倒見いいですからねぇ。大方、ちょっとひとりの子供に声をかけたが最後、他の子たちも一気に寄ってきた、あたりが正解でしょう」
「あー、そんな感じだな!」
 悟空の分かりやすい返事に、八戒はさらに笑みを深めた。そうしているうちに、本日宿泊予定の宿部屋にたどり着く。仏頂面のまま新聞を読みふける三蔵の前に無言で買出し荷物を置くと、八戒はさて、と一息ついた。ちらりと視線だけを向けてくる三蔵にマルボロを手渡し、一仕事終えて腹が減った、を連呼する悟空におやつを与えて。
 そこで八戒は、ふと部屋に備え付けられている壁時計を見た。
 意外と早い時間にこの町に入り、早々にこの町での宿泊を決めたこともあり、それでもなお夕食までにはまだ少し時間の余裕がある。
 それならば。
 八戒はちいさく微笑むと、既にしたいことをしているふたりは放っておいて、静かに宿部屋を後にした。
 せっかくなら滅多にみることのない悟浄の困った顔でも眺めに行こうと、人の悪い笑みを浮かべながら。



「だーっ、イイ加減にしろっつーの!」
 八戒が宿の玄関を出て、まっすぐにその庭先に向かうと、そこそこの広さがある庭で悟浄が五、六人の子供たちに一斉にのしかかられていた。
 きゃいきゃいという、子供たちの楽しそうな喜声と、悟浄の絶叫が庭先に響く。
 そのほほえましい光景に、八戒は知らずくすくす笑いをもらしていた。それに気づいた悟浄が、ふいに顔を上げ、八戒に縋るような視線を向けてくる。
「お、現役保父さん! こいつらどーにかして!」
 悟浄の絶叫などかおかまいなく、子供たちは容赦なく悟浄へとかまいたくる。悟浄も迷惑そうにしていながら、けれど決して邪険にすることはない。それを子供たちは自然に感じ取っているからこそ、悟浄から離れようとはしないのだろう。
 どこまでもやさしいひとだなぁ、と、八戒は苦笑しながらゆっくりと彼らに近づいた。
「どーにかして、って、どうしてほしいんです?」
 悟浄の背中に三人ばかり子供がのっているせいか、悟浄は自然と中腰姿勢になっていた。そんな彼の様子を見下ろしながら、八戒はなおもくすくすと微笑みを絶やさない。
「ナンでそんなに楽しそうなの、お前」
 じとりと、下から見上げるかたちで悟浄が軽く睨みつけてくる。それに、八戒はますます笑み崩れた。
「いや、悟浄、保父さんも板についてるなぁ、って」
「ジョーダン! 頼むからこいつらどーにかして!」
 さすがにもうひとりの子供が悟浄に飛びついた途端、悟浄は「ぐえぇ」とわざとらしく奇声を上げた。そんな彼の様子に八戒も軽く肩をすくめて、悟浄のご要望通り、子供たちを引き離しにかかる。
「みんな、おうちのかたが「おやつだー」って呼んでましたよ?」
 八戒の一言に、子供たちはぴくりと動きを止めた。
 そして、一斉に悟浄から離れると、うれしそうに歓声を上げながらあっという間にどこかへ走り去ってしまった。あまりにあっけなく自分から離れた子供たちに、逆に悟浄のほうが呆然と立ちすくむ。
「ナンだー、あいつら」
「子供にはおやつが何よりでしょう? 悟空にもちゃんとあげてきましたしね」
「……ちなみに、そのおやつってーのは、マジ?」
「さぁ? でも、きっとどこかで準備してますよ。でないと、あんなにあっさり子供たちがとんで行くはずがないでしょう?」
 そう、八戒が嘯くと、目に見えて悟浄の顔がしかめられた。
「お前って、そーゆうとこ、舌先三寸ってカンジ……」
 悟浄の呆れまじりの呟きに、八戒はぴくりと、器用に片眉を跳ね上げた。
「あれ、悟浄がどーにかしろ、って言ったからどうにかしたつもりだったんですが。余計なお世話でしたか」
「イヤ! どーにかしてくれて助かった! さすがは八戒!」
「おだてても何もでませんよ」
 八戒がぴしゃりと言い切ると、悟浄はやれやれとため息をもらした。そして、くしゃりと、顔にかかる深紅の前髪を掌で梳き上げる。
「ま、助かったのはホントだから。サンキュ」
 子供たちがいる間は我慢していたらしい煙草を胸ポケットから取り出し、悟浄は慣れた仕種で煙草を口に咥えた。その先から紫煙がたちのぼる様をちらりと見やり、八戒はふと目を細めた。
 悟浄のこうした、些細な気遣いと言葉が、煙草の煙より何よりしみるのは何故だろう。
 八戒はふいに口許をゆるめ、そろりと息を吐く。胸に凝る、胸にしみる想いごと。
 そんな八戒の様子をいぶかしんでか、横に並び立つ悟浄がちら、と伺うような視線を向けてきた。それをごまかすように、八戒はあえて笑みを深めて悟浄を見つめ返した。
「でも、さっきの悟浄、とても楽しそうでしたよ。見ているこちらも微笑ましく思えるほど」
 八戒はわざと蒸し返すように先ほどのことを口にすると、目に見えて悟浄の口許が歪んだ。判りやすい彼の表情の変化に、八戒も苦笑を禁じえない。
「そぉかぁ? 俺はもー勘弁ってカンジなんだけどよ」
「貴方、結構表情豊かですもんね。なんだか、子供たちがうらやましく思えるほど、いい顔してましたよ、悟浄」
「……八戒?」
 何を言っているのだろう、自分は。
 思わずついて出た言葉に、口にした八戒自身が困惑した。
 ……これでは、まるで。
「ナニ? 八戒もかまってほしい?」
 ふいに、にやりと意味深に笑み刻んで、悟浄が横から八戒の顔を覗き込むように顔を近づけてきた。そのいやらしげな笑みに、八戒はわざとらしく大仰に肩をすくめる。
「その表情とか」
「……あ?」
「悟浄って、うらやましいくらい表情豊かだなぁ、って思ったんですよ」
 自分はどうでもいい相手には感情を一切おもてに出せないから。
 かつては無表情、そして今は常に笑顔という仮面を貼り付けて。
 そう、あくまでも八戒のそれは、人当たりのいい笑顔という名の仮面でしかない。誰にでもきちんと感情をおもてに出せる悟浄とは、違う。
 今も、子供たちと遊ぶ悟浄を見て、八戒は軽い嫉妬に近い感情を覚えた自分にうろたえてしまった。だから、それをごまかすように、悟浄に近づき、わざと子供たちを追い払い。
 つくづく悟浄以外どうでもいい自分自身に対し、八戒は自嘲まじりの笑みを浮かべた。なおかつ悟浄にまであたるような物言いをする自分はなんて醜いのだろうと、そんな己自身がどうしようもなく嫌で。
 ひとりでぐるぐる考え続ける八戒を胡乱げに見やり、悟浄はまっすぐに前を向くと宿の玄関に向かって歩き始めた。そこで八戒はようやく我に返り、あわててその後をついていく。
「俺から見ると、お前もジューブン表情豊かだと思うケド」
 ぽつりと、悟浄は煙草を口にしたまま、つぶやいた。その言葉に、八戒はちいさく瞠目して、そろりと並び歩く悟浄の横顔を眺める。
 そう――なのだろうか。
 悟浄から表情豊か、と言われても、いまいちよく判らない八戒は、考え込むように柳眉を寄せた。くつくつと、悟浄は喉を震わせて笑った。
「悟浄?」
「お前、俺の前じゃ、すっげーいろんな表情(かお)してンじゃん。今もな、ひとりで百面相してるカンジだし? 面白れぇくらいに、さ」
 くつり、と意味ありげに笑うと、悟浄は再び八戒の白貌を覗き込んできた。容赦なく向けられる深紅の双眸に、八戒も知らず目を見開く。
 確かに、悟浄の前では、自然体でいる自覚はあったけれど。そこまで無防備に己の感情をおもてに出している自覚は、今の今まで八戒にはまるでなかった。だから、それを指摘されて、八戒は一瞬にして頭に血がのぼる心地がした。思わず、白皙の頬にわずかだが赤味が走る。
「……そう、ですか。それは知りませんでした」
「ナニ、自覚なしだったのお前?」
「えぇ。そんなに百面相までしているとは、さすがに」
「……百面相は、言いすぎかも」
 八戒の声音が変わったことに気づいて、十面相くらい? と焦ったように訂正する悟浄がおかしくて、八戒はようやく肩の力を抜いた。
「まぁ、十でも百でもいいですけどね。貴方の前なら」
「――」
 今度は、悟浄のほうが大きく目を瞠った。がしがしと落ち着かない仕種で、深紅の長髪を掻きあげる。
「お前ってさぁ、時々素ですげーこと言っちゃったりするよな」
「………はい?」
 悟浄が何を言いたいのか、さっぱり判らない。
 きょとんと、軽く首を傾げて横にいる悟浄を見ると、ますます悟浄の顔が困惑ぎみにしかめられた。
「下手に表情豊かよりタチ悪ィ」
「はぁ」
 悟浄の言いたいことがいよいよ判らない。
 そーゆうところがどこまでも八戒だよな、とひとりで納得している悟浄を八戒は怪訝そうに見やった。悟浄は八戒の意味ありげな視線に気づいているようだが、どうやらそのことについて言及する気はないらしい。それならば仕方がないと、八戒は悟浄に気づかれないようこっそりと嘆息した。
 たとえ、悟浄が表情豊かだとしても。その表情から、真実を見抜くことは難しい。
 それはきっと、悟浄もまた同じで。
 所詮は他人同士、そう簡単にはいかないのだと、悟浄を想い八戒は初めてそのことを知った。けれど、悟浄だからこそ、その顔に浮かぶその表情が気になるし、そこに自分への感情がこめられているのなら、なおさら。
 八戒は並んで歩きながら、あらためて悟浄の横顔を見つめた。
 それに気づいた悟浄が「ん?」と八戒のほうへ顔を向ける。そこに浮かぶのは、誰にでも向ける人を煙にまくような笑顔ではない。八戒だけに向けられる自然な笑みに、胸中で安堵する。
 ……そう。
 悟浄のこんな笑顔は好きだ。
 自分が特別だと、実感できるから。
 そう思いながら、八戒がぼんやりと彼の顔を見つめていると、ふいに悟浄がにやにやと含み笑いを口許に刻んだ。その笑みの変化に、八戒がわずかに眉宇をひそめた、その時。
 悟浄は八戒の耳元にそっと唇を寄せると、まるで内緒話でもするかのような声音でささやいた。
「そういやお前、ベッドの中でもっといろんな表情(かお)すンの……知ってた?」
「………っ!」
 耳元をかすめた熱い吐息に、八戒の敏感な痩身がびくりと震える。あからさまな彼の言葉に、八戒はじろりと、少しだけ目元を朱に染めていやらしげに笑う男を睨みつけた。
「貴方ってヒトは……結局、ソコですか」
「だってよ、ホントのことだし? 何より久しぶりの宿だし、そりゃ期待するなってほうが無理な話だろ?」
「悟浄……」
 八戒がこれ見よがしにため息をもらすと、悟浄もまた軽く肩をすくめた。いつのまにかたどり着いていたらしい本日宿泊予定の二人部屋の扉を開けると、そのまま二人そろって室内に身を滑り込ませる。
 途端、悟浄の腕が八戒をとらえたかと思うと、あっという間にその胸懐に抱き込まれる。抱擁のきつさに、八戒が息を詰めると、再び耳元に悟浄のささやきが落ちた。
「もっとお前のいろんな顔を、見せて」
 懇願にも似たその響きに、八戒はそれまで降りていた腕をそろりと悟浄の背に回した。ぎゅっと、彼の想いに応えるように、八戒もまた悟浄を強く抱きしめる。
「貴方も、見せてくれますよ、ね……?」
「もちろん。――だから」
 俺に、お前のイイ顔、見せて。
 そうささやく悟浄に向かい、八戒は彼だけに向ける艶やかな笑みを返した。




 彼だけが特別だと、そう伝えるための、特別な笑顔を。




 互いの顔を寄せ合い、飽きることなく口づけを交わしながら、八戒は思う。
 悟浄だから、その表情ひとつひとつが気になる。
 悟浄だから、その表情ひとつひとつがいとおしい。
 何より、悟浄にこんなしあわせそうな顔をさせることが出来るのが、自分でよかったと。
 そう思えるから。






 大切なひとだからこそ、その顔、その表情ひとつひとつが大切でいとおしいのだと。
 八戒は悟浄の顔へと両手を伸ばす。




 八戒にとって、だれよりもいとしい男の顔に触れるために。







FIN

2003年8月夏コミにて無料配布したもの。この時、イベント前日24時間でコピー本を3冊も作った(しかも全部CP違いで…)というかなり無茶をした思い出深い作品です。

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