Bloody Kiss




 あまりにも唐突に、首筋に悟浄の吐息を感じた。
 と、思って八戒が身を固くする前に、背後から抱き締められ、そして――首筋を齧られた。
「ご、じょう!」
 突然あがった体温をごまかすように、八戒は激しく身を捩った。しかし、悟浄はますます八戒の腰にまわした腕の力を強めただけで、懲りずに白い首に吸い付いている。
 八戒は呆れたふうに深くため息をついた。困惑気味に宙を見つめる。
「なんなんですか、いったい」
 八戒が台所で洗い物をしている最中に、突然悟浄が抱き締めてきて。しかも、今の彼の興味は八戒の首筋にあるらしく、密着してからとにかく無言で首へと唇を寄せているだけ。しかも、キスというよりは、噛み付いている、と言ったほうが近い。
 ……なんだか、吸血鬼じみている。
 もう一度深く嘆息すると、ようやく悟浄はしぶしぶという態で首許から離れた。けれど、八戒を拘束する腕は解かないまま。
「んー?」
「ん、じゃないですよ。水仕事中にちょっかいを出すのはやめてください、と前にも言ったはずですが」
 まったく離れる気配のない悟浄に内心でため息を零しつつ、八戒は蛇口の水を止めた。ちらり、と、首をまわして後ろの彼を軽く一瞥する。
 目があった途端、悟浄は悪びれたふうもなく口の端をあげた。
「なんかさ、お前の首見てたら、噛み付きたくなるのよ」
「なんですか、それは」
 八戒は呆れた口調を装いながら、再び流しへと身体の向きを戻した。すると、再び、悟浄の肉厚の唇が八戒の首に触れる。
「悟浄……っ!」
「……仕方ねえじゃん」
 八戒が身を激しく捩ると、悟浄の腕の力がさらに強くなった。離すまい、と、態度で示すがごとく。
 これではまるで聞き分けのない大きな子供そのものだ。八戒は観念したかのように、一瞬だけ目を瞑った。そして、大きく息を吐き出すと、今度はゆっくりと自分から悟浄のほうへと身体の向きを変える。
「もう吸血鬼みたいですよ、貴方」
 正面から向かい合うかたちになったところで、悟浄は満足げに頬を緩めた。そんな悟浄の表情を見せられたら、八戒には勝ち目はないのだ。それくらい、八戒自身、悟浄のこうした、どこか少年じみた素の笑顔に弱い自覚はある。
「そぉ? ま、ナンか血吸った跡みたいだけどな」
 このキスマーク、とつぶやきながら、悟浄はわざとらしく八戒の白い首筋に浮かび上がった紅い噛み跡をねっとりと舐め上げた。
 ぞくり、と、八戒の背筋を漣のような甘い痺れが走る。
 八戒は絶え入るように、わずかに眼を眇めた。そして、はんなりと微笑む。
「知ってます? 吸血行為の酩酊に一番近いのは、セックスの快楽らしいですよ」
「――それって、誘ってンの?」
 にやにやと口許に色気の滲む笑みを浮かべながら、悟浄は飽きることなく八戒の首筋に唇を寄せ続ける。白いその首に、何度も何度も、紅い花を咲かせながら。時折、脈打つところを甘く舐めてみたりと、首にばかり愛撫をくり返して。
 次第にせりあがる甘やかな吐息を噛み殺しながら、八戒もまた、口許に艶やかな笑みを刷いた。誘うように、翠の双眸を細めてみせる。
「こうして先に誘ったのは、悟浄のほうでしょう……?」
 そうして、至近距離で視線をあわせて。くすくすと、笑いあう。
 八戒の首筋に執着する。それはつまり、悟浄は八戒に欲情していたことに違いなくて。そんな悟浄に煽られるように、八戒の身のうちの熱もまた高められて。
 もう引き返せないところまで高められた情欲を互いに判らせるように、そっと唇を寄せあった。それは軽く触れただけですぐに離れ、悟浄は再び八戒の首筋へと唇を落とした。
「……んっ」
「そういうことなら、血のようになるまでキスマークをつけてもいい?」
 ココに。そうささやきながら、きつく吸い上げられ、八戒は困ったように小さく身を捩った。拒絶にも似た八戒の態度に、悟浄がいぶかしげに顔をあげた。
「ナニ?」
「……それは勘弁してくださいよ」
 つい、嫌そうな口調になってしまった。そう思ったら、ますます眼前の悟浄の顔が渋面になる。その拗ねた表情に、今度は八戒のほうが焦りを覚えた。
「ナンでよ?」
「そんなところにたくさん跡をつけられたら、着る服に困るじゃないですか」
 それまで不機嫌全開だった悟浄の表情が、ふと笑みにほころんだ。なんだよ、と照れたように格好を崩す。
「いいじゃねーの。たまには」
 すぐに機嫌が直ったらしい悟浄が、懲りずに八戒の首へと吸い付いた。すぐに調子に乗った悟浄のその背中を、八戒は己の双腕で抱き締めながら、一応抗議の一環として軽く叩いた。
「よくないですよ。それとも悟浄が明日、町まで買い物に出てくれるんですか。僕のかわりに」
「判った判った。そしたら、明日は俺が買い物に行くからさ」
 ちゅう、とわざと音をたてて、八戒の首に真っ赤な愛咬の跡を残した。ちりり、と鈍い痺れが走り、そこからゆるやかな快感が立ち昇る。
「……絶対ですよ?」
「リョーカイ。だから、好きなだけキスさせて」
 甘く強請るような口調で言われれば、八戒とてすっかりその気になっているのだから否と云えるはずもない。
 八戒は嫣然と微笑んだ。そして、今度は自分から悟浄の逞しい首筋へと唇を寄せる。
「八戒?」
「僕だけでは不公平だから、貴方にもちゃんとつけてあげます」
 そう、自分だけ、悟浄の好き放題にされるのではなく。
 悟浄にもちゃんと、――この男が八戒のものであるという所有印をつけたい。
 その気持ちのまま、きつく首を吸い上げれば、ほんのりと紅く情痕が浮かび上がった。そのさまに、八戒は満足げに笑みを零す。
「ったく、この負けず嫌いめ」
 それまで八戒の好きにさせていた悟浄が、お返しとばかりに首筋に噛み付いてきた。彼の犬歯がうすい肉に突き刺さる感覚に、ぞくぞくと四肢が震える。
「いまさら、でしょう?」
「……ったく」
 悟浄は八戒の首許からゆっくりと顔をあげた。そして間近で見つめあい、くすりと、互いの口許に淫靡な笑みを浮かべて。
 求めあう想いのまま――互いの首筋に噛み付いた。








FIN

谷本様から頂戴した『シリアス58』絵からイメージしたSS。私の駄文がこの絵の雰囲気をすべてぶち壊しているような気がするのはきっと……気のせいじゃないですよね……。

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