あなたとなら




「地獄ってどんなところだと思います?」
 情事の後らしい少しかすれた声で、八戒はひっそりと呟いた。
 八戒のすぐ隣で仰向けに寝転び、顔だけを上げて手にした煙草の火を灯そうとしていた悟浄の動きが、ふ、と止まった。
 ちらりと、怪訝そうな紅瞳を隠しもせず、視線だけを八戒へと向けてくる。
「いきなりナニ」
「なんとなく、ですよ。どのみち僕は地獄行き決定ですからねぇ。やっぱり気になるじゃないですか」
「えっちの後の寝物語にしては色気なさすぎねぇ?」
 悟浄はけだるげに上半身だけ起こすと、咥えていた煙草に火をつけ、そのままゆっくりと紫煙を吐き出した。その煙がたち昇る様を目で追いつつ、八戒はうっすらと口許を緩めた。
「基督教では、償い切れない大罪を犯した者は地獄に落ちて永遠の責め苦を受けるそうですよ。なんだか、あんまり居心地のいいところではなさそうですけど」
 ふと脳裏をよぎる今の日常と、それまでの自分の過去を思うと、唐突にこんなことを思ってしまった。
 万一、このまま命を落としてしまったら自分はどうなるのだろう、と。
 死と隣り合わせの日常だからこそ、普段はあまり意識に乗せないようにしているそれは、こうしてひとたび思いつくと逆に脳裏から離れない。
 ただ、八戒のこういうどこか悲観的な思考に悟浄も気づいているようで、八戒がこの手の事を口にするときまって訝しげに顔をしかめるものの、それでも黙って八戒につきあってくれる。そして、そんな彼のやさしさに、つい八戒も甘えてしまうのだが。
「その“償い切れない大罪”ってナニ?」
「例えば、……ひとを殺したり、とか」
 ぼんやりと天井を見上げながら、八戒はふと自分の両手を顔前に掲げた。
 ――赤い、血が。
 自分が手にかけた、たくさんのひとの血が手にこびりついて、赤くて。
「それなら、ここにいる俺たち全員地獄行きじゃねーの。あ、地獄に落ちる坊主ってのもありなのかね? ……って、八戒?」
 上から見下ろすかたちでかけられた悟浄の呼びかけで、意識を別のところにとばしかけていた八戒は我に返り、つ、と悟浄と視線を合わせた。どこか心配そうな、それでいて探るような容赦のない紅い瞳がじっと八戒を見据えてくる。
「ああ、……すみません。ちょっと考え事を」
 例え、こんな旅をしていても。
 こんなやさしいひとたちが、地獄に落ちるわけなんかないのに。
 自らのエゴだけで、あんなに真っ赤になってしまった自分と違って。
 それでも悟浄にいらぬ心配はかけたくなくて、八戒はなんとか微笑もうと口許に笑みを刻もうとした、その時。
「――」
 ぎゅっと、上から覆いかぶさるかたちで悟浄に抱きしめられた。
 八戒の頬にすべらかな紅絹がかかる。悟浄の顔は、八戒の真横にあり、その息遣いしか感じられない。
「ちゃんと地獄まで一緒に行ってやるって約束しただろ? 俺、しつけぇのよ。死んでもお前、離してやんねぇ」
「……悟浄」
 ますますきつく抱き込む悟浄の背に、八戒はゆるゆると両腕をまわした。そして、深い吐息とともに、想いを込めて彼を抱きしめ返す。
 こんなふうに。
 八戒の一番欲しいものを惜しみなく与えてくれる悟浄。
 もう、離せないのは自分のほうなのに。それでも。
「これ以上、僕を甘やかしてどうするんです……?」
「そりゃ、地獄でもお前とヤりまくる」
「なんですか、それ」
 悟浄らしい物言いに八戒が肩を震わせて笑うと、悟浄は顔を上げて八戒の白貌を覗き込んできた。そして、ふわりと唇にキスを落とす。
「ベツに地獄でもナンでも、お前とならどこでもいいぜ俺は」
「……僕も、ですよ」
 間違いなく八戒の行き先はそこだろうけれど。
 次第に深まる口づけにこたえながら、八戒はぼんやりと思う。
 それでも、悟浄となら、どこだっていいのだ。例え、この身が地獄に落ちても。例え、悟浄の言葉に甘えて、そこに彼を引きずり込むことになっても。
 貴方がいるなら、どこでもいいから。







 そう、――あなたとなら。







FIN

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