あなたと




 いつもと同じように起きて。
 いつもと同じように四人で出発して。
 いつもと同じように妖怪集団の襲撃を受けて。
 いつもと同じようにジープで賑やかに移動して。
 いつもと同じように宿をとって。
 そして、いつもと同じように一日が終わる。


 ――はず、だった。





「――悟浄……」
 八戒が一日の疲れを流すべく、部屋備え付けのシャワーを浴びて寝室へと戻った途端、本来ならいるはずのない人物――悟浄の姿を認めて思わず瞠目した。
 室内にひとつしかないシングルベッドに悠々と腰掛けて、煙草を銜えていた彼は、現れた八戒を見るなり意味深に口の端を上げた。
 今宵の宿は、久しぶりに各自一人部屋が割り当てられた。
 だから、鍵を持っていない悟浄がこの場にいること自体、おかしなことなのだが――
「どうやって入ったんです?」
 肩に掛けたタオルで、いまだ濡れたままの髪の毛を拭きつつ、胡乱げに訊ねる。
「んー、ナイショ?」
 笑みを深めながら惚ける言い草が癇に障る。悟浄のことだ。大方、適当にフロントのお姐さん辺りを口説いてスペアキーでも借りたのだろう。そういうことにかけてはマメな男である。
 八戒は深々とため息をついた。髪先から頬へと伝い落ちる水滴を拭いながら、広くはない室内をゆっくりと歩き始める。
「……まあいいです。で、僕に何の御用ですか?」
「夜にお前んトコ来るっつったら、ヤルこたひとつっしょ?」
 あまりに想像通りの回答が返ってきては、八戒としても呆れを通り越して笑うしかなかった。寒々しい笑みを口許に浮かべて、その提案を即座に一蹴する。
「そういう用事なら、謹んで遠慮させていただきます」
「つれないねえ」
 わざとらしく肩をすくめるが、悟浄から嫌な気配は感じられない。どちらかというと、八戒との言葉の応酬を楽しんでいるかのような態である。
 八戒は彼に気づかれないよう、手にしていたタオルで頬の雫を拭うふりをしながら、タオル越しにこっそりと窺い見た。いったい悟浄はどういうつもりなのか。その真意を確かめたくて、彼の表情をじっと見つめる。
 そんな八戒の視線に気づいているのかいないのか、悟浄は短くなった煙草を手近にあった灰皿に入れ、おもむろに立ち上がった。その瞬間、ちら、と八戒を見上げる。何かを言いたげな悟浄の双眸としっかり目があってしまい、思わずどきりと心臓が鳴った。
 だが、そんな内心の動揺を表に出す八戒ではない。何事もなかったかのように目を細めてみせれば、悟浄もまたゆったりとした笑みを口許に刻んだ。
「ま、でも、ホントはそーゆう用事じゃなくてさ、」
 悟浄は八戒の前で立ち止まり、そのまま左腕を上げた。しっとりと湿り気を帯びた焦茶の髪を指先に捉え、いとおしげな仕種で撫でる。
「……誕生日おめでとさん」
「――」
 不意打ちのそれに、咄嗟に表情が作れなかった。眼前で茫然とする八戒に、悟浄も微苦笑を浮かべる。
「テメェ勝手で悪りぃけど……やっぱ、どうしても言いたくなって、さ」
「……悟浄」
 思わず、といった風情で八戒がつぶやく。
 ――そう。
 同居時代から言葉にしなくとも暗黙の了解になっていた、『誕生日だからといって特別なことはしない』こと。その生い立ちゆえに、誕生日に微妙な感情をいだき続けてきたからこその、ふたりにとっての不文律。
 それは、ふたりにとって誕生日を意識する以上にこだわりどころだった。
 それでも年月の経過ともに、八戒自身も、そして悟浄自身も変わった。だからこそ悟浄も今、この一言が言えたのだろうし、その言葉は八戒の胸奥にもまっすぐに届いた。
 八戒はそれまでつめていた息を、ほぅと吐き出した。そして、まっすぐに悟浄へと向き直る。
「反則ですよ、悟浄」
「……やっぱヤだった?」
「ええ」
 含み笑顔全開で言い切った八戒に、悟浄の表情がわかりやすく固まる。
 そんな彼がかわいいなどと思える辺り、自分も大概だと胸中でこぼしつつ、八戒は愉しげに唇端をあげたままそっと眼前の唇に触れた。
 ますます悟浄の紅眼が見開かれるのを目端に捉え、八戒はくすくすと笑み零した。そして、自らその口づけを解く。
「まったく……そんなふうに言われちゃうと困るからヤなんですよ」
 否定の言葉を口にしつつも、八戒は甘やかな笑みを深めるばかりである。
 さすがに八戒の思うところを正しく感じ取ったのか、悟浄もようやく表情をゆるめた。
「ナニが?」
 わかっているくせに、わざとらしく訊き返す男を、八戒は軽く睨む。だが、ゆるんだ口許のままではまったく効果はない。かえって、悟浄をつけ上がらせるだけだったようだ。
 八戒の髪先を捉えていた左手が、そろりと細い首筋をたどり始める。彼が触れたところから伝わるぬくもりがひどく心地よくて、八戒は気持ちよさそうにゆっくりと翠眼を細めた。
「……そういうことをわざと訊く辺りがヤなヒトですね、貴方」
 でも、と。
「今なら誕生日プレゼントを強請ってもいいかなあ、――なんて思っちゃうじゃないですか」
 胸懐からあふれる気持ちのまま、おのれの心情を正直に吐露した八戒に、悟浄もまた、うれしそうに笑った。右腕も伸ばして、目の前の痩躯をそっと、たくましい双腕の中に閉じ込める。八戒の腕も同じように、悟浄の背にまわされた。
「じゃあ、プレゼントは『オレ』なんて、ど?」
「ベタですねえ」
「でも、お約束だろ?」
 ちゅ、と音をたてて、秀でた額に悟浄が軽くキスを贈る。
 甘んじてそのキスを受け止めつつ、八戒はその返事とばかりに、いとしい男の唇におのれの朱唇を重ね合わせた。
 最高の誕生日プレゼントを受け取るために。






 そして、ささやかながら、いつもよりほんの少しだけ特別な日が始まって――







FIN

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