『雪月花』   十河蒼さま






「――――――キレイな月ですね」
 習慣のように目を通していた新聞から顔を上げて、窓から注ぐ月光に視線を移していた三蔵の前にことりと静かにコーヒーを置いて八戒が呟いた。
 今日の月は空に大きく、明るく輝いている。部屋の明かりを消してしまっても、むしろそれが必要でなかったと錯覚させるほど、部屋をその冴えた光で満たしてくれるだろう。
 そう考えた三蔵の思考を読み取ったのか、八戒が壁際に歩み寄りそっと部屋の明かりを落す。
 オレンジの暖かい光に照らされていた室内が白く青い澄んだ光に満たされる。
 さすがに読物をするには向かなくなった部屋の光度に、三蔵は新聞に目を通すのを諦めてかけていた眼鏡を外して机の上にカタリと置いた。
 西域へ向かう旅の途中で、こんなゆっくりとした時間を持てるのは久しぶりだ。今回の宿は珍しく二人部屋だったため、姦しい二人組と分かれているという所為もあるのかもしれない。勿論、賑やかな日常が悪いとは言わないけれども。
 たまには、こんな静かな瞬間があってもいい。
「…月見酒でも?」
「いや、いい」
 気を利かせたのか、それとも自分が飲みたかったのか聞いてきた八戒にそう答えて三蔵はついさっき八戒が運んできたコーヒーに口をつけた。
 月を見ながらコーヒーを饗するというのはいささかミスマッチな気がするが。
 無駄にならなかったコーヒーを口にする三蔵を見て八戒はふと笑みを浮かべる。
「…それにしても、すごい月、ですね……」
 再び窓の外を見上げて八戒が呟いた。
 視線を上げれば白々と輝く空の月。
 しばらくその月を見やっていたが、徐に視線を戻せばいつのまにか自分の傍らに佇んでいた八戒と瞳が合った。
「…何だ?」
 物言いたげな視線を感じてそう問えば、八戒が些か困ったように笑った。
 その態度を訝しく思いつつ、懐から取り出した煙草に火を点ける。
 紫煙がゆっくりと月光に照らされた室内に吐き出され消えていく。
「何でもありません、って言っても納得してくれそうにないですね」
「わかってんなら聞くんじゃねぇ」
 うっとおしげに返せば、そうですね、と素直に返事が返ってきた。
「―――――――月の光に照らされた貴方をね、見てたんです」
 告げられた八戒の言葉に、銜えていた煙草を口元から離して何を言ってやがるという言を込めた視線を送る。と、八戒が淡く…淡く微笑んだ。

「秋の月……だなぁ、って、思ったんです…」
「―――――――――」

 呟いて俯きその碧の瞳を伏せてしまった八戒を三蔵は無言で見上げていた。
 また、何か余分なこと考えてやがるなとは思ったが、口には出さない。
 三蔵は、代わりにひとつ気づかれないように溜息をついてから、苛立たしげに吸いかけの煙草を幾らか吸い殻が詰まった灰皿に押し付けた。
 そして、グイと遠慮など微塵もない力で八戒の胸ぐらを引き寄せた。
「…こんなモン、何時でも見れるだろうが」
 言って驚きに瞳を見開いていた八戒の唇に些か乱暴に自分のそれを重ねるとすぐに手を離す。
「冬の雪だか春の花だか知らねぇがな、ンなもん見たい時に見りゃいいんだよ」
 フン、と呟いてどっかりと椅子に座り直した三蔵に、一瞬呆気にとられていた八戒はふと我にかえってその言葉にふんわりと微笑んだ。
 多くを語らないのに、全てを理解してくれているかのようなその強い言葉。
 それに羨望を覚え、求め、時に傷つき、そして――――――救われている。
「…はい、三蔵」
 八戒の返事に答える事なく、三蔵は新しい煙草に手を延ばしただけだった。
 そのまま、二人は長い間無言で月の輝く空を見上げていた。







〜 fin 〜

これは元々、蒼さんがやどかりさんのサイトに進呈したものですが、「いんぺりある・あいず」の閉鎖に伴い、こちらでアップすることになりました。以下は、サイト掲載時のやどかりさんのコメントです。

◆三蔵のBD祝いでこのSSを頂いたのに、私の不甲斐なさでこんなに遅くになってしまってごめんなさい。蒼さんにとっては初書きの三蔵×八戒ということでしたが、私はこの二人の情景がすごく想像できて、蒼さんと私のこの二人への感覚が近いのかなぁって嬉しくなりましたvふふ。私は最後の二人で静かに月を見上げているとこが好きです〜vvv何を語らなくとも分かり合える、とは言い過ぎかもしれませんが、なんとなく、思いが伝わるのっていいですよねv特に三蔵様は相手の気持ちを汲み取るのがうますぎるのではないかと思います。八戒さんが欲しいと思っている言葉をすんなりと先回りして用意してくれてそう。で、八戒さんに本当、ずるい人ですね、とか言われちゃうのね。甘い?ここでちょっとバカ話。"雪月花"というのは四季折々の美しいものを指す言葉らしいのですが、私はずっと、雪の中、月の光をたたえて小さくひっそりと咲き誇る花が実在しているんだと思ってました。ああ、バカですね。蒼様、素敵なお話ありがとうございましたv本当に嬉しかったですvvvそしてまた頂けたら嬉しいなvvv

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