『終わらない時間』   鈴華りんさま






彼はふらりと其処に現われた。
桜の木が三本あるだけの小さな庭。
建物のどこからも死角になっていて、金蝉が彼に気が付いたのもほんの偶然だった。
纏わりつく花弁と温かい風が邪魔臭くて、普段は行かない天帝の住まう館に続く、長い渡り廊下の柱の影に身を寄せた。
その時視界に飛び込んできた彼は、ゆっくりとした仕種で桜の木の根本に腰を掛け、瞼を閉じた。

何故か、彼の周りは時間が動いているような気がした ――――― 。




天蓬は何度か、その場所へ足を運ぶようになっていた。
誰にも見咎められずに済む場所。
誰の館の近くだとか、一切関係なかった。
煩わしい人間関係、軍の揉め事。下界から戻り本に没頭するのにも飽きて、全てを追い払いたいと思う時、此処は絶好の場所だった。
何もせずに瞼を閉じると落ち着く。
その日も何時もと同じ様に、視界から舞い散る花弁を追い出そうとした。
その瞬間、視線に気がついた。
普段戦場にいる事が多いせいか、気配には敏感になっている。
好奇の視線に晒される事には慣れていたが、それは違っていた。
何の感情も篭っていないさらりとした視線。
天蓬は重い瞼を開けようとしたが、一瞬の逡巡の後、そうすることを止めた。
何故か気に触らない、心地良いその感触を味わう事に決めた。




金蝉はまだ最近である筈の記憶を辿っていた。
・・・あれは、何時だったか・・・。
誰だかの誕生祝いとかで、くだらない宴の席に引き摺り出された。
天帝ではなかった、それだけの認識しかない。
隠す事もなく欠伸を繰り返す金蝉の前を、あの男が通り過ぎた。
宴も終わりに近づく頃。遅刻の詫びと祝いの言葉を上手く口から滑り出して、彼は早々に下座に下りようとした。その時、一瞬だけ視線が合った。
それだけで相手は気が付いたようだった。
あの、秘密の場所での視線の主に。
金蝉は彼からゆっくりと目を逸らし、何事もなかったかのような態度を示したが、軍服に紛れた彼が自分を見つめている事に気が付いていた。
舌打ちしたい気分だった。面倒事は苦手だ。
何故、あの時彼から視線を外す事が出来なかったのか。
彼が自分への興味など持たない事をただ、金蝉は願っていた。




「 此処へ、来ませんか?」
天蓬が声を掛けたのは気まぐれだった。
何時の間にか、この場所へ来るのは単なる気晴らしではなくなっていた。
あの視線を求めていた。
案の定、彼からの返事はない。
視線の主を知った事で、彼には二度と会えないかもしれないと思っていたが、その予想は裏切られていた。
相変わらず桜の下で瞼を閉じると、同じ視線に出会った。
逃げる事も隠す事もしない彼に純粋に興味を惹かれた。
暗闇の迫る騒がしいあの席で、彼の姿を見たのは始めてだったが、向こうも天蓬に気が付いたようだった。
「 来ないのなら、行きますよ? 」
沈黙を了解と受け取り、天蓬は気配の方向へと足を向けた。
腰ほどの高さの柵をひらりと飛び越えると、彼がいた。
先程天蓬がいた場所に顔を向けたまま、こちらを見ようともしない。
「 ・・・ 何時も、此処にいるんですか? 」
「 そんな暇じゃねぇよ 」
そっけなく言う彼の横顔は、息を呑むほど美しかった。
人形のように整ったその顔からは表情というものが読み取れず、まるでよくできた置物のようだ。
「 ・・・ では、偶然なんですね 」
微笑みかけると、彼は視線を僅かに天蓬に寄越した。
その彼の態度に自分を追い払う意図がないと判断して、天蓬は続けた。
「 煩わしいとか、退屈とか、此処にいるとそれにすら飽きてきませんか?」
「 ・・・ 同感だな 」
思いがけず返事をもらえた事に、天蓬は少々驚いた。
彼をもっと知りたい、という欲求が生まれる。それは自分の悪い癖だと気付いてはいるが、止める手だては見つからなかった。
「 どうでもいいと全て投げ出しても、何も変わらないんですよね」
天蓬の言葉に、長い、金色に縁取られた睫毛が伏せられ、何か考えるように彼は黙り込んだ。
「 お前も・・・、本当にそう思っているのか?」
「 ・・・ え? 」
「 お前は、何かを動かそうとしている。俺にはそう見えた。だから・・・」
一気に言うと、彼は再び口を閉じ、天蓬を見つめた。
「 ・・・・・ 」
彼が何を言おうとしているのか天蓬には解らなかったが、何か、彼が何かを自分に求めている、という事はうっすらと読めた。
「 僕、ここでいつも寝てただけですよね? 」
我ながらばかな質問だとは思ったが、彼が自分の何に気が付いたのか理解出来ず、思わず問い掛けていた。
「 だけだな 」
「 何を動かすんですか?僕が 」
彼は深い紫の視線を真っ直ぐに天蓬に向けた。
「 時間を 」




面倒事が向こうからやってきた。
金蝉は小さく息を吐き出した。
いや、それを招いたのは自分自身だったが・・・。
どうしても彼を頭から追い出す事が出来ず、何度もこうしてこの場所へ来てしまっていた。
身軽に塀を乗り越え、隣に並んだ彼から、微かに桜の香りが漂ってきた。
一瞬、目眩を覚えるほど鮮やかな、その匂い。
相手をするつもりなどなかった筈だった。
だが、金蝉の意に反して口は勝手に動き、視線は彼を追う。
白衣や風に揺れる茶色の髪から幾つもの桜の花弁がするりと滑り落ち、はらはらと彼の足元に落ちた。
眼鏡の奥の瞳を、始めて間近に見た。
軍人とは思えない華奢な体の線同様、その瞳もそれとは思えない程優しげに細められている。
見とれてしまいそうになる自身を叱咤して、金蝉は視線を引き剥がした。




「 時間を 」
そう言った金蝉の言葉に、天蓬は瞳を見開いた。
「 告白、みたいですね・・・ 」
ぽつりと漏らした言葉は照れ隠しだったと、自分でも思う。
らしくないほどに動揺していた。
彼は天蓬の言葉に怒る素振りもなく、唐突に顔を寄せてきた。
整った顔が目の前に迫り、風のように通り過ぎる。
・・・ それは、肯定・・・ ―――― ?




霞めるような口付けだった。
ふわりと、目の前を過ったものが微かに触れた、それだけの・・・。
眼鏡の奥の、深い琥珀の瞳が僅かに揺れるのを金蝉は見た。
その変化に、胸の中がざわつく。
彼は何も言わずに金蝉を見つめている。
自分から何かの行動を起こした事は今まで皆無だった。
何かに興味を惹かれた事も。

退屈だった。
息も詰まりそうなほど。
止まっていた時間が動き出したのは、確かに彼に出会った時からだった。
自分の中で何かが動き出した事を、金蝉はまだ知らない。
自分の行動をただ、霞がかった頭の隅で考えていた。




止まっていた時間が、確実に動き出す。
終わる事のないそれに翻弄される未来の自分達を、この時僕達は予想もしていなかった・・・








〜 fin 〜

弊サイトにて鈴華さまへのキリリク三八をアップいたしましたが、そのお礼ということで、それは素敵な金天を鈴華さまが書いて下さいました。鈴華さま、本当にありがとうございましたvv 何かリクは、と訊かれて迷わず「金天」と答えた遠慮のないワタクシ…(苦笑)。避けられない運命の歯車が少しずつ二人に忍び寄っていくこの緊張感。それでいて、とても儚げなのに、共犯者のような二人。この、どこか終わりの見え隠れする切なさが、とても金天ですよね…。

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