『哀しい予感』   綾波史季さま






 桜の絨毯の上で気持ちよさそうに眠っている天蓬を見つけて、金蝉は一つ溜息を落とした。
 溜息を付く度に幸せが逃げると云う迷信があるが、天蓬と付き合うようになってから何度溜息を付く羽目になっただろうか。

 金蝉をからかう事を愉しみの一つとしている親戚筋から、山のように書類が送られるようになったのも、確か天蓬と出会った頃だったし・・・
 最近では、何やら訳の分からない動物を気が付けば引き取る事になってしまっていた。
 また、この一時もじっとしていないこの動物の仕出かす事といったら・・・

 あれも、これも厄介事は全部・・・この目の前で幸せそうに眠っている美貌の男の所為に思えて、金蝉は腹立ち紛れに投げ出されたままの天蓬の脚を軽く蹴飛ばした。



「・・金蝉?」
 まだ意識の大半は眠りの中に置いてきているのだろう、綺麗な鳶色の瞳が虚ろに揺らめいていた。
 金蝉とは違って直ぐに覚醒することのない天蓬は、こうしてまどろんでいる時間が一番幸せだと、何かの折に言っていた事がある。
 確かに、何度も見た事のある完全に起きる前の天蓬は、ひどく柔らかい表情をしている。

 まどろみの中の優しい微笑み。

 普段の張り付いたような微笑みとは全く異なるそれを、金蝉は密かに気に入っていた。
 しかし、そんな無防備な天蓬を見る度に、こんな調子で軍人としての仕事をこなせているのかと、不安に思ってしまう。
 元帥と云う地位を得ている以上、無能ではないのだろうと思いはするが、白衣の下に隠した華奢な身体と端正な容貌は、荒くれ者の多い軍の中では侮られ易い。
 金蝉にもそんな様子を見せはしないが、ちゃんと鍛錬を積んでいるようで、執務室で書類に囲まれているだけの金蝉とは違って、それなりに腕も立つらしいが。
 それでも、こんな無防備な天蓬を見る度に、余計な世話だと知りながらも、金蝉はこの幼馴染の事を心配せずにはいられなかった。
 プライドの高い天蓬は他人から余計な心配をされる事を嫌うから、決してそれを表面に出したりはしないが・・・

 それでも、いつも・・・・・



 人当たりがよい様に見えて、案外頑固で気難しい幼馴染の脚を再び蹴飛ばして、金蝉は完全な覚醒を促した。
「こんな所で眠り込むな。何があっても知らないぞ。」

 不機嫌な金蝉の声に反応するように、ゆっくりと天蓬の双眸が開かれる。
 澄んだ鳶色の瞳が、すぐ真上から見下ろしている金蝉の姿を捉えた。
 鏡のようにただ金蝉の姿を映しているだけの虚ろな瞳が、鮮烈な光を宿して意志を持ったものへと変わってゆく。
 何度見ても心を奪われてしまうその瞬間を、金蝉は傍らで立ち尽くしながら十分に堪能していた。



「こんな奥まで来る人はいませんよ。」
「・・・・・」
 金蝉の言葉はちゃんと聞こえていたのだろう。降り積もっていた淡い紅の花弁を撒き散らして上半身を起こしながら、天蓬は目覚めを感じさせない柔らかな声で、にこやかに言葉を返してくる。
 そして、幾つもの花弁を纏わり付かせたままの髪をかき上げながら、口の端で微笑んで言葉を付け足した。

「誰も来ないから、此処は僕のお気に入りの場所なんですよ。」

 時折、見せるこんなシニカルな天蓬の微笑み。
 出来るだけ金蝉に見せないように気を付けているみたいだが、それでも天蓬から漂ってくる冷ややかな気配は隠しようがなく・・・
 金蝉はそれを敏感に感じ取っていた。

 今も、暖かな陽光の中だと云うのに、天蓬の瞳は凍り付いている。
 先程までの、たゆたうような穏やかさは、何処にもない。

 夢の中でしか、くつろぐ場所のない天蓬・・・

 そんな天蓬を見ている事しか出来ない自分を歯痒く感じて、金蝉は口唇を噛みしめた。



「悪かったな。」
 独りの時間を邪魔してしまった罪悪感に、金蝉は素直に謝罪した。
 その柔らかな微笑みに覆われて上手く隠されてはいるが、天蓬は人嫌いの傾向がある。
 他に気付いた者はいないのだろうが、ふとした瞬間に、酷く凍りついた眼差しを他人に向けているのを金蝉は何度か目にしていた。

 他人と自分とを明確に隔てているのが、ありありと分かる冷めた視線。

 自分から天蓬の所に出向く事が少ない金蝉は、それを自分に向けられる日がくる事を恐れている。
 そして、自分が行動を起こす事で、この独りきりでしか息をつく事ができない天蓬を追い詰めてしまうのではないかと懸念していた。

 全ては、天蓬の望むがままに・・・・・



「貴方はいいんですよ。此処を教えたのは、僕なんですから・・・」
 綺麗な微笑みを向けてくる天蓬に、金蝉は咄嗟に視線を反らした。

 天蓬に疎まれてはいないと云う優越感。
 幼馴みの特権ばかりではないだろう、それを感じる瞬間。

 自分のこの天蓬に向ける想いがひどく汚れたものに思えて、金蝉は自分を嫌悪する。

 いつの頃からか、金蝉は天蓬に魅かれていた。
 付き合いの長さからだけではなく、ふとした瞬間に金蝉にだけは見せる隙。
 普段は、微笑みで周囲を誤魔化し続けている天蓬が、その内側に剣呑な気質を隠し持っていると知ってからは特に・・・・・
 金蝉は天蓬から目が離せないでいた。

 しかし、天蓬は・・・・

 金蝉のこんな独占欲めいた想いを知っても、変わらずにいてくれるのだろうかと不安を感じずにはいられない。
 意に添わない人物を排除する、天蓬のその容赦のなさを知るだけに、金蝉はこの想いが溢れ出てこないように封じなければならなかった。

 時折でも、側にいられるだけでいい・・・・・


「それに、ちょうど貴方と二人で桜を見たいと思っていましたし・・・ ねえ、綺麗でしょう?」
「ああ・・・そうだな。」
 盛りの時期を向えたばかりの桜の木を見上げて、降りしきる花弁のその圧倒的な美しさに金蝉は肯いた。
 美しい物の多い天界ではあるが、金蝉の心を動かすような物は少ない。
 
 天蓬と二人で見ているからこそ、自分は心を動かすことができる・・・

 今まで美しいと感じてきた瞬間に、常に傍らに存在していた天蓬と共に見て来た幾つかの物達を思い出しながら、金蝉は目の前の幻想的な世界に見入っていた。


「桜はこんな風に、散っている瞬間が一番美しいですね。」
 柔らかい表情で桜を見つめる天蓬が、一瞬淡い桜の花に紛れて消えてしまいそうに感じて、金蝉は思わず天蓬の腕を掴んだ。

「おい。」
「どうかしたんですか?」
 不思議そうに金蝉を見上げてくる天蓬に、先程までの儚さはない。
 掴んだ腕から伝わる温かなぬくもりも、ここに天蓬がいる事を金蝉に教えている。

 しかし・・・

 先刻感じた奇妙な喪失感を、金蝉の内から拭い去ることは出来なかった。



「お前が桜に紛れて、消えてしまいそうに見えた。」
 一瞬でも目を離せば消えてしまうのではないかと不安になって、天蓬をじっと見つめる金蝉に、天蓬は微笑みを深くする。

「僕は、桜のようには潔くはありませんよ。往生際悪く最後まで足掻いて・・・いざとなったら、相手も道連れにしますから。」
「・・・・お前は・・」
 微笑みの中に紛れた天蓬の本気を読み取って、金蝉は眉を顰めた。

 周囲の事に全く興味のない金蝉にさえ、少なからず伝わってきている上層部のきな臭い噂話・・・
 そして、それに纏わる幾つかの事実と、ここ最近の軍部の動き。


「冗談ですよ。そんな物騒な事はしませんから、本気に取らないでください。それにしても相変わらず、生真面目な人ですね、金蝉は・・・」
「お前は、十分物騒な奴だろうが・・・」
 微笑みながらも一瞬だけ見せた好戦的な天蓬の瞳を見逃す事のなかった金蝉は、憮然とした表情で言葉を返す事で、自分がそれに気付いた事実を押し隠す。

 きっと、天蓬は・・・・・


「ひどいですねえ。そんな風に思っていたんですか?」
 拗ねたように口を尖らせていた天蓬が、不意に悪戯を思いついた子供のような無邪気な微笑みを浮かべた。

 それに気を取られていた金蝉は、上着の裾を掴まれた事に気が付かず、天蓬に引っ張られるままによろめく。
「天蓬!!」
「金蝉も一緒に、お昼寝しましょう? 気持ちいいですよ。」
金蝉の怒声にも無邪気な笑顔を崩さない天蓬に、金蝉は溜息を一つ落した。

 暖かな陽光。
 爽やかな風。
 誰の邪魔も入らない、心地よい場所。


「ああ、付き合ってやるよ。」
 瞳を眇めて桜を見上げた金蝉は、一時の安らぎを求めて、天蓬に誘われるままに腰を下ろした。




 薄紅の花弁が二人の上に、ゆらゆらと舞い落ちてくる。
 このまま桜に埋もれてしまいたいと、願わずにはいられない程。


 穏やかな時間の中でも、金蝉の予感は消えることがなかった。








〜 fin 〜

これは、綾波さまのサイトで「1038」のキリ番を踏んだので、そのキリリクとして書いていただきました。その時、私が出したお題が『金蝉に甘える天蓬』。…趣味丸出しです(笑)。こんな私の我侭リクエストに、綾波さまは見事応えてくれました。ありがとうございますvv 金蝉が天蓬のことをちゃんと想っていて、愛しているところが素敵です。本当に、金天って、こういうどこか消え入りそうな、儚い話が似合いますよね…。

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