『それ』を持ってきたのは意外にも三蔵だった。
あまりの意外さに、渡された時にはきょとんとして目を丸くしてしまったくらいだ。
そんな八戒の内心を表情から読み取ったのか、苦虫を潰したような居心地の悪そうな顔で三蔵は、
「…暇つぶしくらいにはなるだろうが」
と言っていた。
それが未だにどこか不安定な自分への彼なりの気遣いなのだとわかって、八戒はふんわりと微笑んだ。
そして、小さく「…はい」と同意する。
面と向かってお礼など言ったら機嫌をさらに悪化させることは必至だったので。
それに言わなくても三蔵ならばわかるだろうとも思う。
案の定、八戒の言葉に対して三蔵は「フン」と呟いただけで後は何も言わずに八戒が饗した茶を口にしていただけだった。
それ以来、三蔵が持ってきた『それ』────小さなサボテンの鉢、は八戒の悟浄宅におけるテリトリーであるキッチンの窓辺に置かれていた。
実は、悟浄としてはそれが少々おもしろくなかった。
理由は色々あるのだが────それもまあ、どれもきっと他人からすればつまらないことだ。
まず置いた場所がキッチンだということが気に食わない。それも、三蔵からもらったものを──────だ。確かに自分の家なのに、キッチンだけは最早ほぼ八戒のテリトリーになってしまっていて、悟浄には何だか手出しができない場所のような気がする。何もそこに三蔵からもらったものを置かなくてもいいだろう、などと勝手なことを思う。何だか自分の干渉できない部分を目の前に突き付けられたような気がしておもしろくない。実際どうこうできる立場にあるわけでもないから、そんな事言えないのだけれども。おもしろくないものはおもしろくない。
八戒が自分に抱く気持ちと三蔵に持っている感情は別だと頭ではわかっている。わかっているつもり────なのだけれど。
八戒が毎日大事そうにそれを眺めているのを見るとムカつくのだ。
だからといってそんなことを八戒に言うなんてかなり癪なので言わない。というより、言えない。…カッコ悪い気がするから。
──────くだらない理由だ。
だがどんなにくだらない理由でも当事者にとっては死活問題だったり。
ある晴れた日の昼下がり、洗濯物を取り込み終えてキッチンに戻ってきた八戒はふと上げた視線の先に件の鉢を認めて嬉しそうに破顔した。
ゆっくりと窓に近寄り鉢を手に取る。
小さな鉢には小さくひっそりとひとつ黄色い花がついていた。
両手でそっと鉢を大事に包み込む。
何だかホッとしたような、幸せにも似た気持ちになる。
「……何してんの?」
いささか不機嫌そうな声音で声がかかって、八戒は顔を上げた。
見ればいかにも不機嫌そうな表情で、起き抜けの体の悟浄がキッチンの入り口に背をもたせかけ立っている。
「…花がついたんですよ。僕、こういった鉢植え育てるの初めてだったんで、大丈夫かなぁって少し不安だったんですけど」
「ふぅん…」
興味なさげに返事をして悟浄はリビングへと足を向けた。
機嫌のよくない悟浄を訝しく思いながらも八戒もリビングに来た。花のついたサボテンの鉢を持って。
まさかその鉢が悟浄の機嫌下降の原因とは思っていない八戒なのだから、それは普通なのかもしれないが悟浄としてはますますそれがおもしろくない。
「食事するでしょう?ちょっと待っててくださいね」
コトリとテーブルの真ん中にサボテンの鉢を置きつつ八戒は悟浄にそう問う。
それに「あー」とか「うー」とか適当に返すと、八戒は苦笑をしつつキッチンへと再び消えていった。
八戒が居なくなったリビングで、悟浄は目の敵のようにテーブルの上の鉢植えを睨みつける。
弾いて蹴倒してでもやりたい気分だが、そんなことをしたら八戒が激怒しそうだし、何より相手はサボテンなのだ。痛々しい刺が無数に出ていて触ることすら拒まれているかのよう。
そんなところまでまるで。
「…三蔵みてぇ」
言葉として口に出してみるとますますおもしろくない。そしてそれを大事にしている八戒に対しても。
不貞腐れてテーブルの上に突っ伏す。
すると後ろから不思議そうな声がかかった。
「悟浄?貴方こそ何やってるんですか?」
「……べーつにィ」
「ならいいですけど」
本当に気にならないのか、どうでもいいのか、気にしているけれどもあえて聞かないのかわからないが、八戒は何も言わないし聞かない。
目の前に湯気の立つ暖かい食事が置かれ、顔を上げると八戒は二人分のコーヒーを入れるために席を立っていた。
再びコーヒーを手に戻ってきて、自分も席に着く。そんな八戒を横目に悟浄はとりあえず食事を始めた。
八戒は何も言わずに黙って嬉しそうにテーブルの上の鉢植えを見つめている。
不意になぜそんなに嬉しそうなのか聞いてみたくなる。
カチャリと手にしたスプーンを置いた音に八戒が顔を上げる。
「…嬉しそ、だナ」
一瞬きょとんとした八戒だったが、悟浄の呟いた言葉が目の前の鉢植えのことを指すのだと思い至って八戒はああと頷いた。
「そりゃ、嬉しいですよ。さっきも言ったでしょ。鉢植え育てるの初めてなんです」
「あー、…うん、イヤ……そうじゃなくて、だな…」
もごもごとらしくなく言い淀む悟浄に八戒が首を傾げる。
そんな八戒からの視線に耐えられなくなったかのように悟浄は視線を八戒から外してよこを向いた。何だか不貞腐れた子どもみたいだなぁというのは八戒の内心のみの感想だ。
「…三蔵みてぇだな、って」
しばらくの沈黙の後、悟浄はぼそりと小さく呟いた。
その言葉に八戒は目をぱちくりとさせた後、くすりと笑みを零した。
悟浄の機嫌が悪い理由にようやく思い至ったからだ。
本当に、本当に、この人は自分にないものを与えてくれると心から思う。
それを受け入れることに抵抗と罪悪感を感じた時期もあったけれども、今はただ素直に嬉しいと思う。
ちょっとした、本当につまらないひっかかり。
それを与えているのが他の誰でもない自分だということが。
嬉しいと、思う。
だけどそう思ったことは、八戒だけの──────秘密。
だから何も感じなかったように答えを返す。
「そうですかねぇ」
「じゃねぇ?すっげトゲトゲしちゃってさ。触んなって感じ」
「あはは。そう言われればそうかもしれませんねぇ」
八戒の言葉に悟浄の纏う雰囲気がまた少しきつくなる。
悟浄以外の人間からのそんな感情なんてきっとうっとおしくて堪らないと思うのに、悟浄から向けられるそのきつい視線や不機嫌な様はどこか心地よくさえ感じられる。きっとそんなことを口にしたら三蔵辺りに思いきり呆れられるだろうけど。
ただ程々にしないと完全に機嫌を損ねてしまったら厄介ではあるから、今日はこの辺かなと思う。
「…でも、僕はこれをもらった時、悟浄みたいだって思いましたけど」
そう言うと悟浄は驚いたように八戒に視線を戻した。
「俺ってばこんなトゲトゲしてる?」
かなり予想外の言葉だったのか、心なしか声が呆然としている。
そういう訳じゃないんですけど、と苦笑して八戒は目の前の鉢植えを手に取った。
「ほら、サボテンってそんなに世話を焼かなくてもいいじゃないですか。本来砂漠に強いですから水もこまめにやらなくていいですし。しっかり自然体で生きていけるでしょ。…でもね、逆にあんまり水をやりすぎちゃうとダメになっちゃうんです。
強くてすごくタフに見えるのに、根はすごく繊細なんですかね。だから僕なりに気を使って育てたつもりだったんで、今日花が咲いててすごく嬉しかったんです」
ふふ、と八戒が綺麗な笑顔を浮かべて微笑む。
「紅い花がついてくれれば、って期待してなんですけどね」
残念ながら黄色でした、とそれでも大事そうに八戒は手の中の鉢植えを見る。
でもそんな八戒を見ても、今は悟浄はムカムカしたりイライラしたりしない。
八戒が大事そうに抱えている鉢植えを、八戒が悟浄みたいだと評した、それだけの変化なのに。
ゲンキンだな、と自分自身に悟浄は苦笑する。
「…悪りぃ、八戒」
「何がです?」
知っていて、自分の機嫌が悪かった理由を知っていてあえて問わない八戒を好ましく嬉しく思う。
「…じゃぁさ、今度は俺が買ってきてやるよ」
お前の好きそうな紅い花の鉢植えを。
───────八戒が望むなら。
「悟浄が買ってくるっていうと薔薇とかじゃないでしょうねぇ」
「お前がそれでいいなら」
「ヤですよ。手入れとか大変そうですもん」
ぷいと横を向いて言う八戒に悟浄は苦笑を漏らした。
口ではそう言っても、八戒は悟浄が買ってきた鉢植えを枯らすことはないだろう。
三蔵が贈った鉢植えと同じくらい、いやそれ以上に大事にしてくれるだろうか。
そして綺麗な紅い花を咲かせたそれをキッチンの窓辺に飾ってまたあの嬉しそうな笑顔を見せてほしい。
くくく、と噛み殺すように笑う悟浄を見て八戒が呆れたように立ち上がる。
嫌がらせで贈られるんならいらないですとかなんとか呟きながら。
そのまま踵を返してキッチンへあの鉢植えを持って戻ろうとする八戒の後ろ姿に悟浄は声をかける。
「なぁ、俺のも大事にしてくれる…?」
まだ贈ってもいないものなのに、そう聞いてみる。
すると八戒はゆっくりと振り返ってから、悟浄が今まで見た中で一番優しくて綺麗な笑顔で笑った。
それが、答え。
嬉しいのと何だか恥ずかしいのとで悟浄は俯いて、冷めかけた食事を再開した。
はくらかされた八戒としてはおもしろくはない。数多の女をオトしてきた色事師ならば何か言ってくれてもいいではないか。そう思ってからそれらの女たちと同列な方が気分が悪いことに気がついて仕方ないなぁとため息をつく。
でもそのままなのはやっぱり悔しいから一言。
「…貴方の行い次第ですけど、ね」
呟いて直ぐ様キッチンへと向かう。リビングの方でがちゃんっと大きな音が響き慌てたように自分の名前が呼ばれるのを八戒はくすくす笑いながら聞いていた。
本当は言われなくたって大事にするだろう自分を知っている。
だけどそれは相手には、絶対に─────秘密。
自分のことで一喜一憂する相手のことをもっと見ていたいと思うから。
だから…。
早く悟浄が贈ってくれる紅い花が見たいと八戒は思った。
それはきっと彼のように紅い、紅く自分の心を捕らえる色。
近い未来に期待をしつつ八戒は黄色い花をつけた鉢をキッチンの窓辺へと戻し、幸せそうに笑った。
〜 fin 〜
蒼さま、本当に素敵なごじょはち小説をありがとうございました!! 日常のありふれた幸せな光景を、しっかり堪能させていただきました。私は個人的に、八戒さんがすごく愛しそうにサボテンに向かって語りかけてるところが好きです。暖かいお話、ありがとうございます。つくづくおねだりして良かった、と思いましたねvv