「完璧な涙」

 泣き方なんて、知らない。
 そんなことは、誰も教えてはくれなかったから―――。



 長い荒野をようやく抜け、久しぶりにたどり着いた街に入った途端、まず三蔵たちの視界にとびこんできたのは、ある一角に集まっている、明らかに喪に服する人たちの人だかりだった。
 これだけ人の数が多いということは、生前はそれなりであった人物の葬儀であることぐらいは、なんとなく三蔵にも想像がついた。だから、なるべく自分の姿を彼らに気づかれないよう、三蔵はおもむろに掛け布を取り出して、それをすっぽりと頭から被った。こんな場に、いかにもな僧衣を身につけた三蔵を見咎められようものなら、いらぬ事を依頼されてしまいそうだったからだ。
「あれー、三蔵。急に布なんか被ったりしてナンかあったの?」
 どうやらこの街の状況に気づいていないらしい悟空から、能天気な質問が投げかけられる。それに、くくっとからかいを含んだ笑いをこぼしながら、悟浄がぽんと悟空の頭に手を乗せた。
「もしかしてお前、気づいてねーの? あの、いかにもな集団に」
「ナンだよ、それ?」
「―――ほら、あれです。悟空」
 本当に判っていないらしい悟空に苦笑しつつ、八戒がそっと件の集団を指差した。そこでようやく得心したのか、悟空は大きく相槌をうった。
「ああ、あれって…葬式じゃん。ナンか問題あんの、三蔵?」
「…めんどくせぇのはゴメンだ」
 物分りのよくない悟空をじろりと睨みつけ、三蔵は僧衣の袂から煙草を取り出し、口にくわえた。即座に火をつけ、苛立ちを抑えるように深く煙を吸い込む。何故かはよく判らないが、とにかく、さっさとこの場から離れてしまいたかった。自然と、三蔵の足が速まる。
「しかし、なんつーか、あそこにいる連中全員が死んだ奴とどこまで係わりあいがあったか判んねぇけど、そんなにみんながみんな悲しいもんかねえ?」
 葬儀特有の悲壮感ただよう雰囲気というのがどうにも理解できないらしい悟浄が、揶揄するような口調でつぶやいた。すると、三蔵と並んで歩いていた八戒の歩がほんの一瞬止まりかけた。だが、すぐにまた歩き始める。
「そうですか? あんなふうに素直に哀しみに身をまかせられる人がうらやましいですよ、僕は」
 いつもの調子で切り返された八戒の台詞に、三蔵は胸中で苦々しく舌打ちした。ちらりと八戒を盗み見ると、顔は笑っているが、目は笑っていない。余計なことを言った悟浄を内心罵倒しつつ、三蔵はわざとらしくふん、と鼻を鳴らした。
「そんなことより、さっさと宿を見つけろ。今晩も野宿なんて俺はゴメンだ」
「そうそう、もう夕方だもんなー。俺、腹減って腹減ってもー倒れそー!」
「あははは、じゃあ早く宿を確保しましょう」
 三蔵の一言から自然に話がそれたかたちになり、三蔵はため息とともに紫煙を吐き出した。また、いらぬことを考えているに違いない八戒と、そんな八戒を無視しきれない自分自身に対する苛立ちを吐き出すかように。



 どうにも寝付けない。
 それまで寝台に横になっていたものの、睡魔はちっとも三蔵の元に訪れてくれる気配はない。眠くないのに、これ以上寝台にただ横になっているのが苦痛になった三蔵は、ゆっくりと身を起こした。そして、上半身だけ肌蹴させていた僧衣をきっちりと着込んで、寝台から立ち上がる。
 今晩は二人部屋が二つとれたため、三蔵の同室者は八戒だった。三蔵はちらりとすぐ横に並べられた寝台に視線を向ける。どうやら、八戒は、三蔵の寝台から背を向けるようなかたちで眠りについているようだった。
 三蔵はそんな八戒に向かい、深々と嘆息した。
 どうも、この街についてあの葬儀を目にしてから、八戒の様子が微妙におかしい。どこか感情の歯車が合わないような、いつも以上に曖昧な笑みを浮かべる彼に、三蔵はただ物言いたげな視線を向けることしかできなかった。
 何が、八戒の心の琴線に触れたのか、三蔵もなんとなくは判る。ただどこまで踏み込んでいいものか、三蔵自身考えあぐねていた。だから、何も言わなかった。
 だが。
 三蔵はふと、煙草を求めて僧衣の袂に手を伸ばした。が、途中で思い立ったかのように手を止める。そして、そのままくるりと踵を返して部屋を後にした。今、八戒の眠るこの部屋で、煙草を嗜む気にはなれなかった。
 三蔵はまっすぐに宿の中庭に向かい、周囲に誰もいないことを確認してから、ようやく袂から煙草を取り出し、火を灯した。月明かり以外の光源がない暗闇の中、そこだけがほの暗く浮かび上がる。
「―――眠れないんですか?」
 刹那、三蔵に向かいかけられた声に、三蔵はひどく驚いて声の主を凝視した。まさかここに現れるとは思っていなかった人物からの問いかけに、三蔵は狼狽していることを悟られないよう、わざとらしく舌打ちした。
「…気配、殺してんじゃねぇよ」
「すみません。わざとじゃ、ないんですけど。…横、いいですか」
 声の主―――八戒はうっすらと微笑んで、三蔵の返事を待つことなく彼のすぐ横に立ち、そのまま建物の壁に背中からもたれかかった。三蔵も八戒から視線を外して、煙草の煙を吐き出しつつ、壁にもたれかかる。  さすがにこれだけ近づくと、夜目のきく三蔵には、八戒の表情もはっきりと読み取れた。とてもじゃないが寝起きの面には見えない。結局、八戒も眠ってはいなかったのかと、三蔵は隣の彼に気づかれないよう柳眉をひそめた。
「お前も、だろうが」
「ええ、まあ。とりあえず横にはなっていたほうがいいかと思っていたら、貴方が起き出したから、僕もごいっしょさせてもらおうかなあと思って」
 そう言って弱々しく哂う八戒に、三蔵は再度ため息を洩らした。こんな八戒をほうっておけないほど、八戒に囚われている自覚が、三蔵にはある。だから、三蔵は吸いかけの煙草を口にくわえて、両手を組み、きびしい表情を浮かべたまま前方を見据えた。
「いったい、何をそんなに気にしてるんだ、テメェは」
 三蔵が投げかけた直球に、八戒はびくりと肩を震わせた。その様子に、三蔵は心中でため息をつく。こうして三蔵がストレートに訊けば、どんなにはぐらかしたくても、八戒ははぐらかせない。それで八戒がより傷つくと判っていていても、八戒の本音を訊き出すために、三蔵はいつも真正面から切り込む。―――そして、今も。
「…何で判っちゃうんでしょうね、貴方は…」
 八戒は苦笑ぎみにつぶやいた。
「生憎、俺も全部は判んねぇよ。で、何が言いたい」
「普通、人は哀しければ自然と涙って流れるもんなんですよねえ?」
「―――」
 八戒の質問の真意が読めず、三蔵は思わず眉宇を寄せた。何の返事も返さない三蔵に、八戒はしかたがないと思ったのか言葉を続ける。
「今日の葬儀で泣いている人を見て、―――そういえば、僕、花喃が死んだ時にも泣けなかったことに気づいて、なんだか複雑な気分になってしまいましたよ。あんなに哀しかったのに―――泣けなかった…」
 それで羨ましかったんですよ、僕。と、八戒はひっそりとため息を洩らした。
(―――ああ、そうか)
 三蔵はようやく得心がいったと、ふと紫暗の双眸を閉じた。これで、あのときの八戒の言葉に、なぜ羨望のような響きが含まれていたのがようやく納得できた。
 だが、泣けないのは三蔵も同じだった。
 自分の目の前で、無残なかたちで大事な存在を亡くしたときも、泣けなかった。誰も、三蔵に泣き方なんか教えてはくれなかったから、――― 一度も泣いたことなんて、ない。泣きたいと思ったこともない。そして、それを羨ましいと思ったこともなかった。
 だが、八戒は羨ましいという。それは、つまり―――。
「泣けば、いいだろうが」
 三蔵は、ぐいと八戒の頭を掴んで自分のほうへと引き寄せた。そのまま彼の双眸を右手で隠すようにそっと抱え込む。八戒の息を呑む気配が伝わってきて、三蔵はわざと八戒から視線を外し、あさっての方向を見やった。
「三蔵…?」
「泣きたいんだったら、泣けよ」
「……っ、」
 不意に八戒の目元を覆う三蔵の手に、あたたかな液体の感触を感じた。三蔵は微動にしないで、ただ黙って彼のそばにいた。―――そうすることしか、できなかった。
 こうして声を殺したまま涙を流す八戒をちらりと横目で見て、三蔵の胸中を不可解な感情がよぎるのに、思わず三蔵は顔をしかめた。彼の流す涙は、とてもとても綺麗で、―――そして哀しかった。こんな思いを自分が抱いたことに、三蔵はひどく狼狽した。
 何より、こんなふうに泣く彼を離したくないと、思った。



「すみませんでした」
 一頻りひっそりと涙を流した後、八戒は目元を少し腫らしたままで、三蔵に向かい頭を下げた。三蔵は完全に短くなった煙草を地面に落として、足でもみ消しながら口を開く。
「別に謝られる筋合いはねぇな」
「…じゃあ、ありがとうございました。黙って、貴方を貸してくれて」
「八戒」
 三蔵は不意に顔を上げて、八戒を正面から見据えた。それへ、八戒もうすく微笑み返してくる。
「何ですか、三蔵」
「俺以外の奴の前で泣くのは許さねぇからな」
 三蔵の言葉に、八戒は大きく目を見開いて三蔵を凝視した。しかし、すぐに心底嬉しげに破顔した。三蔵はそろりと彼の頬に手を伸ばす。
「―――はい」
 八戒の返事に、三蔵は彼を躯ごと引き寄せて、いきおいのまま口づけた。



 その涙ごと、彼のすべてをこの手に捉えるために。



FIN  


成瀬様にモノクロ状態のイラストを見て頂いた時に「このイラスト頂戴!!」と言って頂いたもので、
SS付けてくれるならいいよ〜と言っていたのですね。やっとSSを頂きましたv
モノクロのイメージはかなり暗く刹那的な2人の雰囲気が出ていたのですが、色を付けた時に
私が勝手に『黄昏』というようにタイトルをつけてしまい、モノクロ時のイメージからかなり外れた
ものとなってしまったので、SSを頂いて「イメージ違いすぎる…?汗」と思ったので背景を塗り直しました〜。
さて皆様はどちらがお好きでしょうか?
成瀬様vステキなさんぱちありがとうございました〜!!
TELでも言いましたが、こんなに素敵なSSが書けるのにどうして貴方はさんぱちすとではないんでしょう!?
「俺以外の奴の前で泣くのは許さねぇからな」この一言に思わずその後の二人を描きたくなっちゃいましたよvvv
独占欲(所有欲?)強い三蔵様大好きです〜vvvあ、↑描かないけどねv

本当に、素敵なさんぱちありがとうございました!ぜひぜひまた次も宜しくお願いします〜v


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